こんな記事を目にした


子は親を選べない

というけど、


子どもは親を選んで生まれて来るんだよ


って。


幸せなことばで、


文章を読んだらなぜだか

涙がこぼれてきた。


でも、、、


そのことばに

すべての子どもが

うなずけるかって、

このことばを、こどもに伝えることができるかって、、、


そうじゃない気がしてしまったんだ。。。。。



こどもは、親がだいすきで、

でも、その根底にあるのは愛されたいという素直な思い。

そして、親は、こどもの全てであるといってもいいくらい、人の人格をもつくる、大きな存在。



それは、親がどんな親でも、、、である。


こどもは、知らないし、知れない。親の気持ちなんて。怖いから。望まれた子なの?私は大事?大好き?なんて、愛されてる自覚がなかったら、聞けないんだよ。


だから、もしもね、暴力振るわれたり、ご飯がもらえなくても、子どもは大切な大切な、大切にされたい、親を肯定しようとするんだよね。



自分のかけがえのない、

親だから。


でも、いろんな環境で、状況で、親になった人間には、色んな人間がいるの。

だから、子どもをうまく愛せなかったり、親自身が自分のことすら愛せなかったりして、他者とのコミュニケーション能力に欠けてたりするんだよね。



それは、親からしたら仕方のないことなのかもしれない。

でも、子どもからしたら、

仕方のないことではないのね。


だから、全てのこどもに、あなたは、選んで生まれてきたなんていえないの。

なぜって。そしたら、子どもが自分を責めるでしょう?

愛されたいのは誰でも同じなのに。


私だけあいされないのは私のせい?って。

違うのにね。


だから、あなたの親はぜったいだなんて。

こどもには、いわせてはならにきがするの。


子どもをまもるために。

誰だって、大好きには変わりないけど。



正解なんてないけれど。


ふと、そう思った。



そうだよね、、、。らしさはないなんて、そんなこといったら、誰がこの日本を作っていくのでしょう。明るい未来なんてこないよね、、、。

私は、そんな風に思った、あの日。

学校の、こどもたちに、そう感じさせられた出来事だった。

自分が小学校のころ、小さないじめがあり、先生にも反抗するということが、常だった。私自身が反抗しているわけではないが、反抗する男子、何も、出来ない、その他私を含むまわりのこ。

だから、音楽を教えながら、全く聞かない男子に、どう対処すればいいかわからなかった。注意されて、もっと、反抗心をかきたてたら・・・。私は、特に状態の悪い児童はほっておきますといって、そのまま続行。しかし、他の児童も挑発されて、動き出す始末。しっかりしている児童は多々いるが止めはしない。

確かに五年生、この年代は、格差のようなものが子どもの世界には、ある、注意など出来るはずがない。授業が、終わると、女子たちが、マルマル君、あれは、だめだよ、担任の先生にいおう!と。そう、私は、非常勤講師

。立場が弱い。

…仕方ない、担任に相談だ。担任に置手紙、明日直接伺うと・・・。次の日、職員室にいくと、担任に、今からこれます??あ、はい。いけます。と私。先生は、明日うかがうといった私のために、子どもたちと話し合いをし、場を設けてくださったようだ。すごい。。。、しかし、私は、担任に相談するツモリだったのに、大げさになってしまったな。なんて、子どもに言おうと内心緊張していた。

教室にいくと、給食の時間だったが子どもが全員はしをおいて、まっている。しーん。

昨日何を話し合いましたか?担任に次いで、こどもたちが発表していく。

おまえは、ここをききとったのか・・・。というよくわからない、発言をする子もいたのはよしとしよう。私の力不足で、と書いた私の手紙を担任が読んだのだろうか。話し合いの内容を聞かれて、そこを答えるのは、少しびっくりした。

そのうち、話は戻っていき、最後に私に謝ろうという方向へ進んだ。授業をまじめに受けなかった子供たちが一人ずつ、私に謝っていく。


私は、目を見て、真剣に聞くばかり。

最後に、何にかどうぞといわれて、私が話す。


あんなに、人前で話すことの苦手だった私。クラス一、発表の苦手だった私。

この人数を前に、自然と真剣なことばがつむぎだされていく自分自身に驚いてしまった。いつの間に、私は・・・。

それは、あの時なかった、自信 のおかけなんだろなと思った。


話し合いが終わって、ふりかえると、今度は不安が襲い掛かる。あんな反省させやがって、めんどくせーな。今だけ、謝っておこう。そういう風に、思うこがいるのではないか。週に1,2度しかないこのクラスの音楽。関係性をうまく築き、フォローすることなんて出来ない状況の中、あのこたちは、どのように受け止めたのだろうか。私が思い出す自分のころの、あの男子は、よし、反省だそんな素直な連中じゃなかったぞ。なんだあのくそばばぁ、って。そういってた。


不安だ。



授業のある前日、音楽室で低学年を教えたあと、準備をしていると、一人の少年が入ってきた、そう、あのクラスの子。


先生、明日、よろしくお願いします!!!


決して、まじめボーイではない子のはずだ。


一人できて、こんなことを言う素直さがあるのだな、心が温かくなった。

その後教室から出て、職員室に向かう途中、今日に限って、あの少年たちにあってしまう。

すると、あ、先生だ!明日、音楽何する?

と聞くのだ。何人にも、会った。そのたび、先生明日は?私が~~をするよ。というと、なんだ、~~かと思ったよ☆と。

明るい、あったかい。


私の機嫌をとろうとしているのかといわれたら、否定はできないかもしれない。

でも、こどもの、

このこどもらしさをしっかりと私は受け止めなければならないな。

と思った。

素直

そして、認められたい、先生に自分を見て欲しいという、こどもらしい感情を。


それがしっかりと、掬われたとき、こどもは、きっともっと大きく成長するんだろうなと思った。

はしゃいだり、ふざけなくても、自分がここにいるというしっかりとした安心感を。

私はここにいる!という自信を。


こどものそのまっすぐな思いから、私は目をそらしてはいけないな

と思った。


ここからが勝負。


私も、わたしらしく


がんばらねば。

4時間目の授業、ベテラン教師の音楽の授業を見に行った。一言、圧倒だった。普段は大人しげのめがねをかけた女性教師。マスクまでして、なんともミステリアス。しかし、きっとこんな教師こそすごいのでは・・・?という私の予想は期待を裏切らなかった。

私は師匠、おまえたちは弟子だ。といいながら、発声練習。ささささささささ~♪と、こどものうるさくするすきなんぞ一秒も与えてやらんといわんばかりの練習内容、初日の授業だったらしく、自己紹介もさせていたが、シーン。。。まじか、同じ自己紹介なのに、違うなと、感じた。

きくところによれば、荒れた中学の音楽を持っていたようだ。そりゃ、すごいわけだ、しかも専科やん!!!

見て真似できるといっても、限度がある。技術的に追いつかない、そして、キャラ的にあれは私ではない・・・。

そんな思いの中、その授業は終わった。 私、同じ5年生持つんですけど。。。子どもかわいそうじゃんか!!他のクラスなら上達するんだろうな。不安・・・というマイナス思考が私のあたまをかけめぐる。いつでも好きなときにこい!という先生のことばはうれしかったが、行ったところで真似できるレベルじゃねーってのが本音かもしれない。

5時間目、私は、もう一人の女性の先生の音楽をみにいった。

その先生は割とおちついてて、あの、スパルタ的ふんいきはなく、少しほっとした。教室もざわざわ。まぁ、あることなんだっておもった。6年生は、表現する力を音楽の中でも見に付けさせる動きがあるので、プリントなんかをしながら、授業がすすんでいた。しかし、二人の少年はがたがた、ばたばた、そして、うたがはじまっても、全く歌わない。ものを蹴って遊んでる。マジで??先生は、ピアノについてて他の子の妨げのいなるので何度か注意して、後は放置。まぁ、そうなるしかない。私、、、見せてもらってるのに、TT的動きしていいの??わかんねー、、、だから、目配せとかしかできなかった。しかし、うるささはまし、そんな中授業終了。先生は残りなさいと指示。

私はそこにいるのは失礼なので、外にでて、教室で叱られていない方の子どもと話をしていた。

ねぇ、なんでうるさくしちゃったの?は?しらね。というような、子どもらしからぬ、言葉遣い、どうしてそんなことばづかいするの?・・・。直したいんだけどなっちゃう。 

・・・・・???家庭的な問題なのだろうな。でも、聞けないな、そんな思いだった。俺さいごじゃん。一人でかえるのかな。

こんな、言葉遣いでやんちゃなおまえさんも、音楽室から教室までが寂しいんだな、素直だなとおもってしまった。本気でそんな子どもを怒れないって思ってしまった。

その子が入り、もう一人の子。最初は反応は適当、しかし、彼はもう一人の彼を待っている様子なのでもう一度話しかける。あいつが一緒に帰ろうっていうから、待ってる。 そうなんだ。優しいじゃん!と思いながら、そうなんだと私。話せば、私の卒業した高校の中学部に入りたいようで、なんだか、意外と夢をもってて、話せば素直でいい子なんではないかと思った。さっきまでのあの行動なんなんだ?とも、思ってしまう。そんな中、先ほどの少年が帰ってきて二人は去った。いい出会いだったな。


教師にあいさつをしながら、先ほどの少年の話を伺う。やはり、最初の少年は家庭的に問題ありだった。まだ彼がもう少し幼い頃、夫婦は怒鳴りあいの大喧嘩、それを隠れながらみて育ったらしい。今は、離婚。

なるほどな、父親の言葉遣いだな。あれは、そうおもいながら胸が痛かった。

直したいのに直せないのは、環境がつくりだしてしまたからではないか。当たり前の温かさというものを彼はきっとあじわってなんかないんだ。おびえながら、自分の安全すら確保できない不安定な状況で、塾だなんだいいながら、温かく育てられた子どもたちと同じはこの中にはいるんだ。

あたりまえということばが恐ろしい。知らない世界をこどもはまだ、しらない。だから、どんなこどもにもあるのだろうが、自分のあたりうまえが他のひとのあたりまえと一緒でないことはすごくおおきなショックなんだ。

それを、教師の見ていない間に、子どもたちはこどもたちの中で、確認していく。

彼は、きっと、ものすごくショックやダメージを受けているはず。何気ないことばでいう、うちのお母さんがね、お父さんがね、ということば。きっと、苦しいんだろな。愛情欲しかっただろうな。寂しかっただろな。それが教室に入って、ちょっとすねたら、怒られるんだもんな。吐き出し口なんてないだろうに。だから、きっと。それをわかってあげようと包み込むのが私たちの仕事なんだと思う。

間をあけない、プロフェッショナルの授業はきっと私には出来ない。でも、そうじゃない、こどもの心に寄り添う授業ができるんじゃない?って思った。

私は、私。私にしか出来ないことをしよう。あぁいう子が生き延びれる教室じゃなきゃなんのための教師なんだ。

そして、もう一つ。

私は、決意した。

自分が不安がっていてはだめだ。それを隠していてはだめだ。

いつだってそうだった。人と出会い、人と向き合うとき、自分を見せて初めて、相手の心が開かれた。一対多数でも、同じではないか。私がまず心を開こう。自分を見せていこう、それからが私の始まりだ。音楽は音楽のプロを育てるための授業ではないはずだ。知識、技能のみにつかせねばならないが、今は、総合的になっていて、他の科目とも関連されている。私が出来る範囲で私なりに子どもの心を育てよう。

そう思えたとき、私は救われた。

きっかけをあたえてくれた少年に感謝。