4時間目の授業、ベテラン教師の音楽の授業を見に行った。一言、圧倒だった。普段は大人しげのめがねをかけた女性教師。マスクまでして、なんともミステリアス。しかし、きっとこんな教師こそすごいのでは・・・?という私の予想は期待を裏切らなかった。
私は師匠、おまえたちは弟子だ。といいながら、発声練習。ささささささささ~♪と、こどものうるさくするすきなんぞ一秒も与えてやらんといわんばかりの練習内容、初日の授業だったらしく、自己紹介もさせていたが、シーン。。。まじか、同じ自己紹介なのに、違うなと、感じた。
きくところによれば、荒れた中学の音楽を持っていたようだ。そりゃ、すごいわけだ、しかも専科やん!!!
見て真似できるといっても、限度がある。技術的に追いつかない、そして、キャラ的にあれは私ではない・・・。
そんな思いの中、その授業は終わった。 私、同じ5年生持つんですけど。。。子どもかわいそうじゃんか!!他のクラスなら上達するんだろうな。不安・・・というマイナス思考が私のあたまをかけめぐる。いつでも好きなときにこい!という先生のことばはうれしかったが、行ったところで真似できるレベルじゃねーってのが本音かもしれない。
5時間目、私は、もう一人の女性の先生の音楽をみにいった。
その先生は割とおちついてて、あの、スパルタ的ふんいきはなく、少しほっとした。教室もざわざわ。まぁ、あることなんだっておもった。6年生は、表現する力を音楽の中でも見に付けさせる動きがあるので、プリントなんかをしながら、授業がすすんでいた。しかし、二人の少年はがたがた、ばたばた、そして、うたがはじまっても、全く歌わない。ものを蹴って遊んでる。マジで??先生は、ピアノについてて他の子の妨げのいなるので何度か注意して、後は放置。まぁ、そうなるしかない。私、、、見せてもらってるのに、TT的動きしていいの??わかんねー、、、だから、目配せとかしかできなかった。しかし、うるささはまし、そんな中授業終了。先生は残りなさいと指示。
私はそこにいるのは失礼なので、外にでて、教室で叱られていない方の子どもと話をしていた。
ねぇ、なんでうるさくしちゃったの?は?しらね。というような、子どもらしからぬ、言葉遣い、どうしてそんなことばづかいするの?・・・。直したいんだけどなっちゃう。
・・・・・???家庭的な問題なのだろうな。でも、聞けないな、そんな思いだった。俺さいごじゃん。一人でかえるのかな。
こんな、言葉遣いでやんちゃなおまえさんも、音楽室から教室までが寂しいんだな、素直だなとおもってしまった。本気でそんな子どもを怒れないって思ってしまった。
その子が入り、もう一人の子。最初は反応は適当、しかし、彼はもう一人の彼を待っている様子なのでもう一度話しかける。あいつが一緒に帰ろうっていうから、待ってる。 そうなんだ。優しいじゃん!と思いながら、そうなんだと私。話せば、私の卒業した高校の中学部に入りたいようで、なんだか、意外と夢をもってて、話せば素直でいい子なんではないかと思った。さっきまでのあの行動なんなんだ?とも、思ってしまう。そんな中、先ほどの少年が帰ってきて二人は去った。いい出会いだったな。
教師にあいさつをしながら、先ほどの少年の話を伺う。やはり、最初の少年は家庭的に問題ありだった。まだ彼がもう少し幼い頃、夫婦は怒鳴りあいの大喧嘩、それを隠れながらみて育ったらしい。今は、離婚。
なるほどな、父親の言葉遣いだな。あれは、そうおもいながら胸が痛かった。
直したいのに直せないのは、環境がつくりだしてしまたからではないか。当たり前の温かさというものを彼はきっとあじわってなんかないんだ。おびえながら、自分の安全すら確保できない不安定な状況で、塾だなんだいいながら、温かく育てられた子どもたちと同じはこの中にはいるんだ。
あたりまえということばが恐ろしい。知らない世界をこどもはまだ、しらない。だから、どんなこどもにもあるのだろうが、自分のあたりうまえが他のひとのあたりまえと一緒でないことはすごくおおきなショックなんだ。
それを、教師の見ていない間に、子どもたちはこどもたちの中で、確認していく。
彼は、きっと、ものすごくショックやダメージを受けているはず。何気ないことばでいう、うちのお母さんがね、お父さんがね、ということば。きっと、苦しいんだろな。愛情欲しかっただろうな。寂しかっただろな。それが教室に入って、ちょっとすねたら、怒られるんだもんな。吐き出し口なんてないだろうに。だから、きっと。それをわかってあげようと包み込むのが私たちの仕事なんだと思う。
間をあけない、プロフェッショナルの授業はきっと私には出来ない。でも、そうじゃない、こどもの心に寄り添う授業ができるんじゃない?って思った。
私は、私。私にしか出来ないことをしよう。あぁいう子が生き延びれる教室じゃなきゃなんのための教師なんだ。
そして、もう一つ。
私は、決意した。
自分が不安がっていてはだめだ。それを隠していてはだめだ。
いつだってそうだった。人と出会い、人と向き合うとき、自分を見せて初めて、相手の心が開かれた。一対多数でも、同じではないか。私がまず心を開こう。自分を見せていこう、それからが私の始まりだ。音楽は音楽のプロを育てるための授業ではないはずだ。知識、技能のみにつかせねばならないが、今は、総合的になっていて、他の科目とも関連されている。私が出来る範囲で私なりに子どもの心を育てよう。
そう思えたとき、私は救われた。
きっかけをあたえてくれた少年に感謝。