退院から2ヶ月の今(入院中プレドニン服薬15mgx5日のその後)陰極まり やっと好転か? | わたし > でいこう (医療に頼らず 自分で治す)

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 前回7月29日更新から 2ヶ月経つ。 これまで2年間の数回の入・退院後1ヶ月ほどで 血中酸素が下がり始めて 苦しい生活が始まるのが常だったが、不思議なことに 現在までずっと体調はいい。 例えば、4時間ぐらいの外出ができ、30分は連続してこの炎天下でも歩けるし、信号でもあと数秒で赤信号という時も走れるようになった。この60日間で 15回も電車で外出している。この4年間は、行動範囲が縮小、外の世界はばい菌だらけで出れないし、経済的余裕もないので 何も買えない・・・(でも病院や薬にはお金を使わざるを得ない)という生活だったが、こうなると お金も使うし ウイルスや病気が怖いけど それよりもウィンドウショッピングするだけでも楽しい。フードコートで安いコーヒーを飲み、趣味のジャーナリングをするのが楽しい。

内に閉じこもっていた生活から できるだけ外へ出たいし、身体が「出ていいよ」と許可したんだなと思う。また家という生活空間と違う空間では 思考も広がる気がする。 

 前回書いた、添加物まみれのパンは、結局通算で20個ぐらい食べていた。プレドニン効果が切れたであろう1ヶ月前からは 臭覚がほとんどないので、味覚もないのだが、面白いことに、このパンがやめられなかった。つまり、美味しいから食べているのではなく、我慢したせいで起きた心の「枯渇」を埋めるために食べているのだ。 好きなのに「身体に悪いから」禁止したことだから心が食べているんだなんと理解した。案の定、心が潤ったのか、そのパンは要らなくなった。それだけではない。好きな海外雑貨店へ行き、臭覚もないのに香水の試香紙に香水をふり、持ち帰り、クローゼットに入れたりしていた。これも、洋服に香りを入れたら お出かけが楽しくなるかもと無意識にしている。つまり、臭覚味覚はないのに お出かけしたいという心が求めていることを無意識にしていた。

 これらが、奇跡の物語になればいいのだが、実はそうではない。少し前に「病気をやめる」というブログを書いた。そのあたりから 「病期が治ったら○○しよう」という「いつか」と「何か(薬)に依存・(完治という)期待」している状態と、もうすぐ貯金が無くなるから早く治さないとと、自分を追い詰める思考などのチグハグに気づいていた。そして、「自分の首を絞め続ける」ことがわかった時に 入院した。前回書いたが 救急車で搬送されてしばらくして、3リットルの酸素でも血中酸素が低い私に向かい、女医が「以前のカルテみました。お気持ちは理解しますが、これまで何の治療もしていないからですよ。救急車も3回目ですよね。たぶん、年齢的にももう治りませんよ。今は1ヶ月1回の注射、高額ですが、それで楽に暮らせる治療があります。考えてみては?」と言われたり、入院中は看護師医師の連携ミスで、翌日から酸素2リットルへ減らしたつもりだったのに、3日間も3リットルのまま過ぎ、いざ酸素を外した時に なかなか血中酸素が90から上がらない中、主治医が「退院後は在宅酸素もありえますね」「薬も飲まないのであれば、入院も在宅酸素24時間流入のそういう病院になりますよ」と言われた。

そうそう、病気なったら「今すぐ楽になる」か「根本を治す」かこれが分かれ目なんだろう。ここ、何回も何回も何回も自問するところ。入院中も同室は癌の患者さんばかり。放射線と抗がん剤治療。聞こえてくる会話が「便が出ないんです」「お通じはありましたか?」ばかり。そんな小さな副作用にフォーカスするのが面白い。でも、お通じは大切だとは思う。それから 私は酷い差別かもしれないけれど 今までの入院では ワクチン接種者、抗がん剤投与の方々を怖がっていて、同じ便座(4人部屋に一つのトイレ)が嫌で 同じ空気を吸うのも嫌だった。それなのに、今回は全然気にもならなかった。もう、外へ出ることは、カオスで カオスで生きるしかないからで 身体がもう大丈夫と理解したからかなと思う。カオスへ戻ろう。