わたし > でいこう (医療に頼らず 自分で治す)

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 5月末 孫が生まれた。勿論、行けない。送ってもらった娘夫婦と孫の写真に癒されたのもつかの間・・・

 6月2日から3日にかけて 台風のせいか、前のビルにたくさんのカラス。そして、救急車も異常に多い。こういう時は、あれこれ悪いほうへ考えてしまう。症状としては、口に口内炎、鼻詰まりが苦しい、喉に濃い痰が詰まり、なかなかでない。眠れない、血中酸素が低下し、呼吸がしんどい。胃も悪いのか、消化不良気味。体力が奪われていく。

 シャワーは3日できていない、外出は2週間以上できていない、と、「できない」方にフォーカスしていたが、家事をする女性によくある「あれもしなきゃ、これもしなきゃが目に飛び込んでくる」の頭でなく、「この身体のために、今、何をやめようか」に切り替えた。結果は同じことだが、自分から「やめる」と決めるのが先。頭によぎっても「やらない」選択を毎日少しづつ。負荷が減ったのか、シャワーが一度でき、ゴミ捨てにも行けるようになった。それから、よく噛んで食べる、お腹が空いてから食べるなど 初心に戻ってみた。思い切って、寝れないときは退院時に処方された睡眠導入剤も飲んだし、サプリ(ビタミンB)も飲んでみた。

できる時は 安心した姿勢(床に足(かかと)を着ける、吐く時間を多めに呼吸、腰骨を立てるなど)をする。とにかく、洗い物も放置して、着替えや洗濯もやめた日もあるけど、別に問題はない。買い物へ行けないけど、宅配が週一で来るので、それで足りる。但し、欠品も多い。

 

 思えば、去年10月に退院してから、よくなるようにと頑張りすぎた。理由の一つは、経済的な理由で、貯金の底が付く月日が明確になって、そこまでに何とかしたい気持ちが強かった。ただ、私の成育歴からいうと、「できないことが増えるのは、危険」(できない自分と母親の機嫌が悪いのが直結して、怖くなるなど)と身体の神経が覚えてしまっているので、なんとかしようと しかもできるだけ速くと どんどん、身体に無理をさせていくいつものループだ。いくら気がついていても、この癖がなかなか取れない。

 今回の体調不良は長いが、何度か「これ、前にもあったな」とこれまでの辛い4年間も随所に思い出させてくれるのが、笑える。例えば、5時間咳、痰が止まらない、心拍が上がり、苦しいなどなど。でも、違うのは、身体の神経が 割と落ち着いている。「こうなれば、致命的」「終わりだ」みたいな、頭の大合唱がない。静まり返っている。身体の神経が落ち着いてくるとは こういう事なのか? 心の余白はこうして、できるのか? 今の私は不思議な時間を過ごしている。やっぱり、「今」はとても重要だけれど 心に余白がないと見れないと気づく。

それから、今までの「いい」「悪い」という対立の視点でなく、いろんな可能性があり、自由を感じる。

身体が悪くなったころ、何かで見た「治ることに意味はなく、真の意味で充実すると 治る」ことがちらつく。この充実は 自分にしかわからない。しかも、真の。これこそ、自分への理解。外側ではなく内側にあるもの。

 発作手前の嫌な感じは過ぎたが、今日も別に汗もかいていないし、シャワーは止める。洗い物は、6時間すでに放置。止めても

問題がない学習をしている。母や社会が教えてくれた「効率」や「きっちりやる」「努力・頑張り」からの自由がある。「こうしないと大変なことになる」脅しながらの学習を止める。