♪ 危険なふたり の1973年の頃までのジュリーって

尖っていませんでしたか?



一等賞狙う狼のように、
マスコミにも牙を剥いたかのように、
評論家をイヤがった❗️

それまで、「下手だ」とか言われたりもして
タイガース時代は「音楽じゃない」「騒音だ」と
認められないことがあったこと、
私は忘れていない❗️
そして、こんなことも言っていた


ジュリーはソロになりたくてなったわけではない
ことは、それまでの経過でよくわかる。

タイガース時代も自分だけ取り上げられるのは
本意ではなかったと言った❗️
解散しても、やっぱりバンドがよくて、
PYGへのサリーからのお誘いに飛び付いた人だ❗️
PYGが売れずにショーケンが抜け、
空中分解してしまい、その残った楽器隊が
井上バンドとして、10年間ジュリーと共にする。

ジュリーはソロで歌を出したけれど、
井上バンドと一緒でなければイヤだと
常にバンドの一員の立ち位置を示していた。

この記事
↓↓


共感しています🤗でも、本は買いません❗️
本を買わないのは、ジュリー自身が
評論されたくないからと、理解しています。

それが、私のジュリー評論か🤣

ジュリーはとにかく、世間に認められるには
一等賞しかなかったのでょう❣️
だから、ファンも一等賞な応援をしていたんです❣️

この頃、NET(現テレビ朝日)に
『ペスト30歌謡曲』というランキング番組が
あって、スタジオに潜り込んで見たことが
あります。
ジュリー、リハ終わって、たばこ一服していた
ことを覚えています💕