加橋かつみさんが

「あのおじさんが居なくなって タイガースが売れた(笑)」

笑ってMCされたことがありました🎵


あのおじさんとは ジュリーファンが仰る「ジュリーを見いだしてくれてありがとう」と感謝されている内田裕也さんのこと🤗


ファニーズが 1966年大坂ナンバ一番に出演中に スカウトされた回数は 3回と

有名な話ですが おさらいすると…

『THE TIGERS 2013』のパンフにある歴史より


最初は スパイダースのマネージャーの

小野マネージャーさん!

スパイダクションの田辺昭知さんと

面談を設定してくれるとのこと👏

ところが 進展しなかった…


2回目は 後に西城秀樹さんを見いだし芸映プロ(タローもここでサラリーマン生活をしていた)東宝企画の上条英男さん❣️

491(フォーナインエース)というバンドで ボーカルとギターとベースを探していて スカウトされたのは ジュリーとタローとサリー❣️

ジュリーは即決で「5人でないといきません!」と断り おじゃん👏

この話は生前の上条さんの証言!


ジュリー❤️エライ👏

去年九州で ピータローサリーのライブが

開催されて この話が出た時 サリーは

「僕だったら 行ってたかな(笑)」


三度目が ナンバ一番にやって来た

内田裕也とブルージーンズの 内田裕也さんからの打診

「俺と一緒に東京でやらないか?」


ところが これも また 一向に拉致があかない!

連絡も取れない!ならば 東京へ行って

直接交渉をしようと 宣伝材料にするため

大坂城でフェアレディに乗った5人の写真を手土産に リーダーだったピーが 代々木という地名だけを頼りに 単身上京!



直接交渉に成功したのだった👏

ピー💙エライ👏


裕也さんも 本腰をいれて 渡辺プロに

紹介してくれた!


ジュリーによれば 所属するなら渡辺プロとメンバーたちと決めていた!

なぜなら 給料は安くても テレビに出られるはずだから なんだそうです❣️


9月12日に 裕也さんが ナンバ一番に来て ピーと単独会見!

9月中旬には 渡辺プロの池田プロデューサー 中井國二マネージャーが ファニーズのステージを見る段取りとなった!


2日後 大坂ロイヤルホテルで 裕也さんと

メンバーが面会!

メンバー「いよいよ 東京へ行ける希望が出てきた」と 喜ぶ✨️


10月9日に ナンバ一番で 渡辺プロのオーディション!

裕也さんのいうとおりに 演奏したそうで


松下製作部長 尾藤イサオさん チャーリー石黒さん 中井國二マネージャー 裕也さんに ピーがいうには すぎやまこういちさんの命を受けて 作詞家の橋本淳さんも いらしていたとのこと…


このステージを降りたときには 契約の話も持ち出されたという!


10月21日に 渡辺プロからの電話で正式に

採用が決定し 上京の日取りも決まる!


10月24日   祇園菊梅旅館2階にて 渡辺プロの池田プロデューサー 渡口さん

メンバーの親御さんも参加!

タローのお母様が 最後まで 高校だけは出て欲しいと反対があったそうですが

サリーのお父様たちの説得で 了承されたそうです!契約時の月給は 6万円!




裕也さんによれば「奴ら 勝手に契約しやがった!」

ここで 裕也さんは 外れていたのですが


ジュリーがいうには「ジャズ喫茶やウエスタン・カーニバルの出演交渉は裕也さんで

あとの仕事が 渡辺プロ」

とか?


裕也さんのお考えとは ズレがあったようです!


でも 裕也さんは ジャズ喫茶に売り込みし 12月3日新宿ACB出演をとりつける! 上京の11月9日 ピーが合流したのが11日!


内田裕也とザ・タイガース 東京初ステージ❣️

の はずが 11月23日に ブルコメのダブルブッキングで 新宿ACB ファニーズが ピンチヒッターで ひょんなことから 東京初ステージと相成った!

裕也さん抜きで!

ワンステージ 25分!

ファニーズ名義!


ジュリーの記憶は緊張のあまり どもっちゃって(笑)

トッポも ♪ひとりぼっちのあいつ が

コーラスから入るため 音取りのコードを

思いっきり 間違えた(笑)

タローの記憶




レッスンも渡辺プロの指導で 

コーラス練習の先生は しばたはつみさんのお父様だった!武蔵小山!

ピーはコーラス練習に 一度は参加も次回からは呼ばれないかったそうだ!


ついでに ピーは武蔵小山には美味しカツ屋さんがあるって グルメが話していました❣️


12月2日  11月12日にオーディションしたポリドールレコードでの デビュー曲

レコーディング ♪マリーの想い出

当初 予定されていたのが ♪ガイコツの唄 


中村泰士さんが 持ち込みしたようですが 

中村泰士さんといえば 細川たかしさんの

♪心のこり や ♪北酒場ではレコード大賞作曲家として 偉大な方ですが はじめは ロカビリー歌手で GS時代の

始まりには 苦労なさったのか?

(妄想して申しわけないですが リスペクトしての 想像です!)


この唄 後に カッペーズというグループが レコード発売したようですが タイトルが ♪夜霧のガイコツこんばんは 


中井國二マネージャーは 土下座して変更したそう❣️





12月3日 内田裕也とザ・タイガース

新宿ACB

ザ・タイガース名義では 初舞台です!



この 衣装は裕也さんが 誂えてくれたそうです❣️


年が明けての 1967年新春日劇ウエスタン・カーニバルに ザ・タイガース初出場❣️

メンバーも 日劇ウエスタン・カーニバルに出ることを憧れていただけに 裕也さん

尾藤イサオさんのバックにも 大きな空間を感じていたことでしょう❣️

ザ・タイガースは一曲だけ ♪タイガースのテーマ を披露🎵

夢の舞台を踏んだ❣️


そして ザ・タイガースは 2月5日

♪僕のマリー で デビュー


するも メンバーからも なんか歌謡曲みたいとの 声もあがっていたようですが

仕事は バンバンと 中井さんによって

埋まっていく中


裕也さんが 新たに ユニフォームを発注❣️

ところが この ユニフォームを着ることなく 渡辺プロと揉めたようで…


ジュリーがいうに「君はもういらないと言われた」

手厳しい判断のもと ヨーロッパへ傷心旅行へと羽田から飛び立ったと!

5人も 見送りに行ったそうです!


こうして おじさんがいなくなりました…



この衣装 6着 一式誂えたのに と

裕也さんは 後にボヤいていました!


この衣装で 2回目出場となった 5月日劇ウエスタン・カーニバルで バ・ク・ハ・ツ🔥


2曲目 ♪シーサイドバウンドで 全国区へ❣️


裕也さんのおかげではありますが 

裕也さんは 若いモンと組みたかったのでしょう❣️でも 会社が 許さなかった!

トッポも 疑問があった(笑)


内田裕也とザ・タイガースは 初舞台から

5カ月弱で 終わりました❣️


ザ・タイガースは 人気爆裂 絶頂期へ

向かうのでした❣️


今日も お付き合いいただき ありがとうございました🤗🙇