昨日、沢田研二 正月LIVE 2024『甲辰 静かなる岩』
LINE CUBE SHIBUYA
行って参りました🎶


ここのところのジュリーチケットが
取りにくくなってきたことは、
ジュリーには良きことですが、
1990年代には、🈳があり
余計な心配したものでした。

ファンクラブ澤會がなくなり、
ぴあ扱いになって、入手困難プラチナチケット
になってしまいました。

澤會のころは、良い席をとることに
躍起になったのが、
今では、抽選に当たるかどうか?
運試しみたいになりました😢

確かに新しいファンも多いのかもしれない。
見た目が絶対に私より若そうな方たち。
でも、一方では、お足の悪い杖つく高齢者も
いらっしゃる。

演者が75歳だから、デビューから57年間
応援していれば、ファンも高齢者になります。
それでも、足元の悪い中、来てくれるファンは
有り難いでしょうね❤️
昨日も帰り際、よろけて転ぶ方や
足が階段の高さまで上がらない方も
いらっしゃいました。

ジュリーが「死なないでください」と
言わせることが、冗談ではないと
思います。

ソロになってからのファンの方は、
タイガースをカットする人もいます。
そこを知らないから、また、知る術も
分からないかも?
サリーのことを、「いつもサポートありがとう」という方も。
サリーがジュリーをサポートしていたという
考えは、ソロの時の立ち位置からか?
まず、PYG を知らないなあと、悲しがる😢


昨日も、ジュリーが触れていた
「オールドタイガース」の話がなんのことか
分からない方に出会いました。
ジュリーも昔話を当たり前にしていますが
もしかして、ちんぷんかんぷんだったりして?

オールドタイガースとは、サリーのお父様
ジュリーのお父様、ピーのお父様、タローの
お母様、トッポのお母様が、ご実家に訪問する
ファンに対応してくれていました。
上のサインはジュリーのお父様、松雄さん。

♪ ACB という2000年に出したジュリー作詞曲も歌ってくれましたが…
新宿ACBのことを歌ったのですが、
「ACBという宝物さ」
上京したてのジュリーも憧れたACB出演❣️
今もその頃と、自分は変わっちゃいないという詞
多分、会場にいるほとんどが
新宿ACBに行ったことのない人たちでしょう。
想像を掻き立てるのだけでしょう。

この歌を聞くと、当時は新宿の南口がなかったので、西口から甲州街道の登り坂を
ぜいぜいと走ってACBへ行ったことを
くっきり思い出します。
初めて、ジャズ喫茶に行ったのが
新宿ACBだから特別な曲に感じます❣️


歌詞に「どこからでも見やすいのよ」
とあるのですが、本当に、後に出来た
ニューACBは見にくかった😔

ジュリーは、幅広いファン層に
支えられる魅力が今でもあること❤️
57年、見てこられたのは軌跡は奇跡なのか?

そう感じながら、これを書いています。
すごく、疲れていますが、
57年の長きに幸せだったんだなあ💕と、
生まれた時代に感謝です❣️

もちろん、ジュリーのクリケット衣装を
見たときから、え?って腰が上がり、
一曲目から総立ち、テンションMAXのままでは
今日まで疲れる年になりました🤭