母が亡くなりました | 笑ってすごそうよ(^^)

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2008年、夫が慢性腎不全→2013年クレアチニン急上。約3ヶ月の透析→2013.12.20に74歳の母から生腎移植。
2022.5 息子が肺癌疑惑。結局癌じゃなくて良かった。
2025.義父の介護と母の介護。
2026.3月、わたしが子宮頚がんに。ステージⅢBで手術できない。

2026.0709


昨日、母が亡くなりました。



午前中にサチュレーションが40%台まで下がった。

その時点で息子にLINEした。


息子は昨夜、仕事が終わってから伊東に戻ってきてた。


直ぐに病院にきた息子とふたり、母の手をさすりながら沢山話しかけた。


母の足の裏側は紫色だった。

昨日は手のひらも紫色だった。


酸素が行かないのかな?


紫色の手足を見た時、今日亡くなるのかも…と感じた。


今までは母の所では泣かなかったが、涙がポロポロと出てしまう。

「お母さん、何で泣くの?おばあちゃんは大丈夫だから泣くな!」と息子に言われた。


その後は、心拍数が低くなったり急激に高くなったりしてアラームが鳴る。


看護師が来て、「会う人はおふたりでいいですか?」と聞かれた。

「娘が居ますが、仕事に行ってるので1時間ぐらいかかります」と言うと、「呼んであげて下さい」と。


泣きながら…でも落ち着いて、娘に電話した。


それから夫にも電話した。

夫は直ぐに来てくれた。

娘もびっくりするくらい早かった。


その頃には少し安定してきて、数値だけ見ると今までとあまり変わらないよ。


娘が母の側にいてくれるとの事で、夫と息子とわたしは、病院の喫茶室で急いで昼食を食べた。


部屋に戻ると、母にくっついてる娘。

「おばあちゃんにくっついてると安心する」って言ってた。


義父のリハビリがある日なので、夫はそちらに向かう。


17時半頃アラームが鳴り続け心拍数が40台になる。

たまに200ぐらいに上がる。


夫に電話するが出ない。

その前に電話が来て、夜ごはん病室で食べるなら何か買ってくねと言われてた。


こんな状況で買って来られても…

そんなこといいから早く来いよ!と思った。


心拍数が20台になり、10台になり…

0になった時、娘が肋骨折れてもいいかと聞いて来た。

心臓マッサージをしようとした。

「やめてあげて」とわたしは言った。

「ダメだよ」と息子が言った。


これならいいかと娘は母の心臓を指先で押し始めた。


母の心拍数が30になった。

「おばあちゃん!おばあちゃん」と叫ぶ娘。

その後また0になった。


看護師が来て、心臓は止まってますが、心拍がまだ直線になってません。

聞こえてると思うので声を掛けてあげて下さい。直線になったら医師を呼びますね。と。


お母さん、ありがとう。って沢山言った。

大好きだよとも沢山言った。


夫も来た。

ありがとうを沢山言ってた。


医師が来て、死亡確認した。


病院で着替えなどをやってもらった。


20時、葬儀社が迎えに来た。

そのまま預ける事にした。


我家へ連れてくる事も考えたが、娘が泣いて離れないだろう。

娘の事を考えたら預けた方がいい。


今日は今後の打ち合わせのため、葬儀社へ行ってくる。

本来なら兄がやるのだが、母の葬儀は伊東でやる。


兄の仕事が12日まで忙しいので、その後にできないかとか、わたしが話して来なきゃならない。

まだ泣いてはいれない。



お母さん、本当にありがとね。