こんにちは!

星を知り、違いを楽しむ

さとこです(^^)/

 

少し前のことですが、

書き留めていたメモがあり、

残しておこうと。

 

小学生の娘の習い事で、

少しこじれて

やめてしまった親子の話。

 

先生の想いもわかる一方で、

そのママの気持ちもわかる。

 

子どもの習い事、

誰でも何かしら悩んだことがあると思う。

 

 

 

例えば、長女のダンス。

 

コーチ 右矢印 指導者の立場

 

子ども 右矢印 受講者の立場

 

保護者 右矢印子どもをサポートする立場

 

そこに関わる人たちの立場は

それぞれであり、

想いも

視点も

期待も

それぞれ違う。

 

違うからこそ

こじれることもあるのは

事実。

 

子どもの習い事、

特に保護者の立場は

なかなか複雑だなと感じました。

 

コーチでもなければ

生徒でもない。

 

外野(がいや)なのです。

 

ただ、外野なのだけど、

子どもの習い事なので、

そもそも自分がいなければ成り立たない。

送迎やら月謝やら諸々は

この外野である保護者が支えている。

 

仕事で言えば、キーパーソンでもある。

最も大きな決断権を

持っているとも言える立場。

 

どんなにコーチが教えたくても

どんなに生徒が教わりたくても

月謝払えません。

送迎できません

となればそれで終わり。

 

こう書くと、

裏の鍵を握る権力者のようだけど、

子どものこととなると

できる限り応援したいという

愛が根底にあるから

おざなりにはしない。

 

よって、現実は

送迎に振り回され、

子どもに練習しなさいと

ガミガミ言わなくてはいけない

辛い立場であったり、

子どもが伸び悩めば

自分ごとのように錯覚し、

悩み、追い詰められることも。

 

 

子どもの習い事、

こうした葛藤を経験しているママは

多いと思う。

 

やめてしまった親子のことをきっかけに

私もこんなふうに

振り返っているし。

 

結局、

それぞれが選択していくだけなのだ。

 

私も、自分は、

どこまでが許容範囲なのか

迷うことがある。

 

子どものがんばりたいは

応援したいし、応援する。

 

娘たちもやりたいなら

それなりに責任感は持ってもらう。

気分で練習する、しないとかはなし。

 

ただ、こうした感覚が通じるのも

我が家の場合は

高学年になってからだった気がする。

 

低学年のうちは

まだまだ難しい子は多いと思う。


長女(小5)は自分なりに行動できるが、

次女(小2)は私の声がけが

まだまだ必要。

 

誰がいい、悪い、

正しい、間違ってるは

どんなことにもないなと。

 

ただ、こじれてしまうのは

違いを受け入れる余裕がなく、

自分が抱いた怖れから

人を攻撃してしまうことなのかなと。

 

自分を守るため、

正当化するために攻撃する。

 

攻撃さえれた相手は心をえぐられるし、

結果、攻撃してしまった人も

ダメージが返ってくる。

 

気をつけなきゃいけないのは

ここだけなんだろうなーと。

これがわかっていても、

なかなか難しかったりもして。

 

自分のために書きました。

ありがとうございます。