美しい水彩画風のアニメーションで、
やわらかな人肌とかよく描けていて、それなりに楽しめ、
天人のお迎えのシーンも、雲が下りてくるところまで問題なかったのですが、
雲上に、
来迎図(ならば阿弥陀さま)風に、仏さま風の姿があり、がっかりしてしまいました。
これは、原作とは違いますし、どなたかもおっしゃていたけど、モハメド風刺画の世界。
この作品が、アカデミー賞で賞をとれなかったのは、
風評で<アナ雪>系のCGアニメーションに敗れたから…と思っていましたが、
そうではなく、
こうした細部の誤りのせいなのですね。思想的な誤り…と言えるかも
原作では、かぐや姫は、帝と相思相愛です
帝も、しゃくれではありません。
帝のセクハラが原因で、月に帰ることになったなんて、『竹取物語』にはありません。
原作では、最後に、かぐや姫は、帝に手紙と不死の薬を渡すシーンもありますが、
大切な部分なのに、カット。手紙と不死の薬を焼かせる「富士山」のシーンもありません。
結局、古典の授業などで、参考資料として見せるのにも適さなくて、
映像が美しいだけに、とても残念です。
こうした部分は、かなり有名なので、外国の方々も、ご存じなのでは???
どうして『竹取物語』の原作通りにつくってくれなかったのかしら…。
原作通りであれば、
とても価値があり、
アカデミー賞も受賞出来たのではないでしょうか。
小さな小さな嘘が、とても気になる作品でした。
■「かぐや姫の物語」TV初放送で突如盛り上がる御門(ミカド)のアゴ祭り
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=3318624
<追記>
☆最後の不死の薬のエピソードが、鍵だと思われますから、やはりカットされたのは、本当に残念ですよね
原作に忠実につくられたら、あの水彩画のタッチがどれ程素晴らしかったことでしょう。
しかし、
実は、本格的に原作の空想の部分などを絵画化するのが難しく、
かぐや姫の秘密の畑の中のちいさな築山…雑草の箱庭のようなまとめ方の中で、難点が目立ってしまったのかも…。
限られた時間の中でまとめるとき、美しいが故に、ちいさな嘘が目立ちすぎ、私達のかぐや姫ではなくなっていた…のかも知れませんね。
普通、キャラクターのひとりがしゃくれ顔とか、天人の一人の姿にがっかりしたとか…そこまで、細部が突出することはないですもの。
<優れた作品は、細部が全体を裏切らないし、
優れた作品は、全体が細部を裏切らない…。>
これは、ある画家の言葉ですが、
(ある意味)細部の描写が、全体を裏切ってしまった作品だったのかも知れませんね…。
AKKO-BEAR