心強い。


 土曜日に土井善晴さんの講演を聞かせていただいた。ほぼ予備知識なし。ご飯に具沢山お味噌汁を薦めてられる方。働くお母さんの味方のイメージくらいしか持ってなくて。

 しかし、土井さんの講演の枕は、マルクスから始まった。「マルクスは人間の労働から考える」。物質代謝は「労働」から生まれる。そうマルクス研究者の斎藤幸平さんが話された時に、土井さんが、物質代謝だったら「労働」でなくて、「料理」ちゃいますか、と、おっしゃったとのこと。そしたら、できた斎藤さんの本が「僕はウーバーで捻挫し、山でシカと闘い水俣で泣いた」になった…とおっしゃったというのは私の記憶。

 私としては、いきなりガツンときて前のめり。

 今日はお料理の上品な話だと思ってたのに。

 違うな。最初から「交換」の話だ。

 日頃、人間も他の動物も基本は食べるために生きてるよなぁ〜、食べ物少なくなってない?食べ物を獲得する力も弱くなってない?って、思い始めて、今更、流通のことなど勉強したがってる(まだしていないけど)私におあつらえ向きな話しなんではないかい?

 

 不味くてもいい

 今、目の前にあるものを食べる。

 今あるものが不味いものならそれを食べる。

 季節は同じに見えて日々変わり、食べ物も変わる。初ものを食べるとは今を生きるということ。

で、何が心強いかと言うとふだんはケの日なんだから、目の前にあるものを料理する。あれしたらあかんとかからしたらあかんとかはない、自分で食べるのだから。
 言葉が腹底にくる(お腹も空いてくる)。
 

 というわけで。

 あ〜あ、残業やぁ〜と月曜から

 でも、家に着いた途端

朝の残りの冷やご飯をフライパンに敷いて、醤油とお酒に少し浸したチキンをつけ汁ごとのせて、残っていた🍅トマトを櫛形に切って蓋をして、チキンに火が通る程度に蒸し焼き。蒸せたかなと思ったら、蓋を開けてそこでチキンを一口大にカットし、全体を混ぜ合わせる。今夜はナンプラーを足しました。冷蔵庫の半熟卵とアーモンドを刻んでトッピング。緑はやはり冷蔵庫にあった三つ葉。

 ざっくり混ぜ合わせた時に少し残っていた雛豆のトマトソースも入れて。


 鍋底に残っていた塩豚と端野菜のスープの上に白菜、じゃがいも、にんじん、だいこんをカットして蒸す。蒸せたらお湯と残っていた牛乳を加えて、味が足らないので鹿児島で買った麦味噌を少し加えて。
 土井さん、ご飯に味噌つけてたらいいんですよ
って言ってらした。そういやきゅうりもあるけどまた明日の朝。
 にんじんも甘いし、じゃがいもも甘いし、白菜もちょっと古いのに柔らかく炊けた。なんちゃってチキンライスもまぁ美味しい方。

 我が家の娘たちはお母さんの料理は何が好き?
と聞かれるといつも顔を見合わせて首を傾げる。不味いわけじゃないんだけど、あるもので作るからカレーでもいつも同じじゃないんだよね。
って言われてきた。四半世紀よりも長く野菜の宅配をとっていたので、その時の配達に合わす癖がついてしまったんだろうな。
 宅配の初めの頃は、土も虫も付いてて、ヒャアーとなったことも。そんなこともほぼ無くなったな、この頃。