今日は娘の二十歳のお誕生日です。

やっとこの日が訪れた。

20年って年月が長く短いような気がします。

二人目とゆうのと女の子だから楽に育てられると思っていましたが

そうは、問屋は卸さなかったなぁ

難しかった。

手こずりました。

私は、息子が生まれた瞬間にもう一人子どもを生む事がわかっていました。

そして、女の子を生む事もわかっていたので名前は決めていました。

娘が生まれる前日の夕飯は、近くのラーメン屋さんでした。

ラーメンを食べてるとオリャアーと何度もお腹や脇腹を蹴られてたなぁ

予定日より早く陣痛がきて、朝5時過ぎに病院へ行く

予定外の出産でしたから病室がなくて待合室で待機でした。

分娩室に入り台に乗り横になると周りに看護婦見習いの女の子たちが5、6人いました。

私が「○○もうじきだよ!」と娘の名前を呼んでると

「もうお名前決まってるんですか?」と聞かれた。

そして見習いの看護婦さんも一緒に名前を呼んでくれた。

あっ!とゆう間に生まれたの

「5月19日午前8時13分女の赤ちゃんご出産おめでとうございます。」超安産でした。

娘はすくすくと育って、お兄ちゃんの真似をしたりして男まさりで困りもんでした。

幼稚園の頃に仲良くしていたお友だちが園の課外クラブのバレエを習う事になり

自分もやりたいと言い出して、女の子らしくなるかなぁって期待

私もバレエに興味があったので嬉しくて習わせました。

これがけっこうお金のかかりましたなぁ

シューズやらレオタード、タイツ

髪型はシニョンにするので長く伸ばした

発表会に参加できる時は嬉しくて

メイク道具を揃えたりした。

バレエの練習日に娘の髪を結うの好きだったなぁ

いい思い出です。

反抗期が長くて辛かった。

そんな中学二年になったばかりに脊柱側湾症と診断された。

脊柱側湾症が何か分からず調べた。

整形外科から大学病院へ紹介され予約が取れたのが二ヶ月後でした。

レントゲンを見た時は、がく然としました。

私は娘に申し訳なくて泣いた。

来年は高校受験があるから相談をして早めに手術をすることになり何回も病院へ行きました。

コルセットを作るために身体を固定して石膏のついた包帯を巻かれたり

10月予定の手術が予約いっぱいだからと12月になった。

同じ病気の子が、たくさんいるんだと驚いた。

何度もレントゲンを撮り手術のために何回か自己血を貯血した。

よく頑張ったなぁ

背骨に沿って長い傷痕があります。

背骨はプレートをボルトで固定しねじれを矯正しています。

何もなければずっとプレートはつけたままです。

中学を卒業し高校生になりバイトを始めました。

意外に長く勤めていたなぁ

ラーメン屋さんでした。

ゲームが好きな娘がオンラインゲームで知り合った人に会いに東京へ行くと言った時は喧嘩になった。

毎日、チャット(テレビ電話)で話しているから信用してるって言う

夜行バスも泊まる所も予約をしたからって言われてね。どれだけ心配をしたことか

今だから言えるが無事に帰ってこれてほんとに良かったと思います。

今は、つき合いないみたいです。



普通の家庭に生まれていたら、しなくてもいい苦労をしなかっただろうに

社会人になって、自由になれたかもしれないが自立出来てないよね。
親離れできてないのよ

私も過保護だから、つい手助けしちゃう

一緒に暮らしてるから持ちつ持たれつかな?

なんとなく書きなぐってしまった。

娘の20年を簡単に記録しときます。