神結びすとのひとり言 6月の“巡る”『近江神宮』レポ② | 生きがいの編集室_1107ブログ

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内外拝殿を回廊が取り囲んだ壮麗な建築を要した『近江神宮』は

皇紀2600年にあたる昭和15年に創祀された比較的新しいお社。

しかしながら、神宮の立つ場所こそまさに、天智天皇が

飛鳥から遷都され開かれた「近江大津宮」です。



天智天皇といえば「大化の改新」が有名ですが、その他のことを

今回『近江神宮』を訪ねるまで、恥ずかしながら全く知りませんでした。

ご祭神である天智天皇には天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)

というご神名がありますが、そのご神名こそ

天智天皇の全うされた“天命”を物語っています。



一豪族でありながら、自分たちの都合で次々と天皇を擁立したり

廃したりするほどの大きな権勢を振るっていた蘇我氏を廃し

建国の理想を実現させようと、国を改革していった天智天皇。

国家を大改革する必要性に迫られていたのは、

蘇我氏の専横だけが理由ではありません。



その頃の日本は、大陸からの圧力によって国家存亡の危機に直面していました。

天智天皇は、外圧にも屈せず日本を豊かで強い国にするため様々な改革を行います。

古代日本で初めての法典「近江令」を制定、学校制度を創り

国民の教育に道を開かれました。戸籍が制定され、土地制度も改革されました。

また、当時最新の技術を駆使して産業振興にも努められました。



「日本」という国号、「天皇」という称号が正式なものになったのも

天智天皇の改革によってという説もあります。

このように新時代を開き、今につながるこの国の繁栄の礎を

築いて下さった、中興の英主が天智天皇でした。



もし、あのまま蘇我氏が天皇を思いのままにしていたならば

2684年にもおよぶ、世界最古の国・日本はなかったかも知れません。

「日本を、豊かに強く」は今まさにその必要性が高まっています‼

この時にこのタイミングで『近江神宮』にお招き頂いたこと

天命開別大神に感謝申し上げ、お力をお貸し頂ければと願います‼



明後日に続きます♪

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❖七十二候 第三十候 夏至末候❖

半夏生[はんげしょうず]
(7/1~7/6)
半夏とは夏至から数えて11日目にあたる雑節(季節の移り変りを
より適確に掴むために設けられた日本独自の暦日)。
「半夏」とは「烏柄勺」(からすびしゃく)という薬草のことで、
この薬草が生える時期を指した名称だといわれています。
昔は、半夏生にあたる日の天候で稲作の出来を占ったそうですよ。

季節の虫 あげは蝶
黒や黄色の美しい羽模様をもつあげは蝶。
ミカン科の植物に卵を産み付けるため、
山地から都会まで各地でその美しい姿を見ることができます。