神結びすとのひとりごと 『真魂深入り・猫の門ニュース』6月も無事配信終わりました~ | 生きがいの編集室_1107ブログ

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有益な学びや有識者の方のイベント開催が主な業務です。
ご縁をいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。

スピリチュアルキュレーター大村真吾さんと共に

1107がお届けする『真魂深入り・猫の門ニュース』‼

今月の配信も無事終わりました♪

打ち合わせ時間数分、ほぼぶっつけ本番なのですが(^^;

予定通り2時間で終わるという奇跡に

毎回自分たちが一番驚きますww



昨日“ニッポン大好きフジエモン”でお届けしたのは

「日本人のようになりなさい」という言葉が

今も語り継がれるウズベキスタンのお話でした。

あまり知られていませんが、ウズベキスタンは

とってもとっても親日感情の深い国なのです。



その始まりは終戦直後、ソ連によって強制的に連行され

過酷な労働を強いられた、日本人抑留者の姿を通してでした。

ウズベキスタンに連れてこられた永田行夫大尉以下457名は

旧ソ連の四大劇場に数えられる「ナヴォイ劇場」の建設を命じられます。



食べ物も乏しく、夏は40℃冬は-20℃という過酷な状況のもと

抑留者たちは、日本人の誇りと意地にかけて

さすが日本人の建設したものは「出来が違う」と

いわれるものにすると固く決意し、2年という短い期間で

壮麗なるオペラハウスを建設していきました。



厳しい環境の中での強制労働、帰国の見込みも立たない抑留という

絶望的な状況の中でも、実直に、勤勉に仕事に励む

日本人抑留者の姿を見たウズベキスタンの人々は、

「日本人のようになりなさい」と子や孫に語ったといいます。



1966年にタシケントを襲った大地震は、

街がほぼ全壊したといって良い程の大災害でした。

その中で、ナヴォイ劇場をはじめ日本人抑留者が

建築に携わった建物の多くは地震に耐え、ほぼ無傷で立ち続け、

家を失った人達の避難所として活用されるなど、 多くの人の命を救いました。



ウズベキスタンの人々の日本に対する深い信頼と尊敬、

友情は、当時の日本人抑留者によって育まれたのです。

日本人のわたしでさえも「(当時の)日本人のようになりたい」

そう強く思う、先人達のお姿です。

もっと詳しいお話は、ぜひ本編をご覧ください♡
 

 

 


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❖七十二候 第二十八候 夏至初候❖

乃東枯[なつくさかるる]
(6/21~6/25)
冬至の頃に芽を出した「靫草(うつぼぐさ)」が枯れていく頃。
色鮮やかな夏の花が開花するという時期に、
枯れていく花に思いを寄せた、古人の優しさを感じる言葉です。

季節の果実 さくらんぼ
この季節、淡いピンクの可愛い実をつけるさくらんぼ。
開発者の佐藤さんにちなんで名づけられた山形の“佐藤錦”が有名です。
山形県はさくらんぼの全国生産量の7割を占めます。