お金持ちになること?
家族ができること?
美味しいものが食べられること?
趣味に没頭できること?

「幸せ」は答えがない。
形もないし、人それぞれだから。
自分でも「幸せ」がなんなのかわからない。
けれど叶えたいことはある。
家族がほしい。
親から愛情を与えられないまま育ったけれど、あたしはいつか出会うだろうパートナーと子どもには、出来る限りの愛情を注ぎたい。

そしたらいつか理解できるかな?
自分にとっての「幸せ」って。

人の寿命は限られている。
人生80年、生きる人もいれば、
明日病気や交通事故で死んでしまうかもしれない。
こうして平穏に過ごしている1日1日は当たり前ではない。


もし自分が寿命を終えるそのときは
「幸せでした」と思えるような人生を過ごしたい。
休日。
あたしは近所の公園、浜辺を歩くのが好き。
ヘッドホンをして、好きな曲を聴きながら何も考えずただただ歩くことが好き。
公園ではいろんな人がいる。
楽しそうに遊ぶ子どもたち、
自転車の練習をする親子、
ジョギングをする人たち。

人は一生でどのくらいの人たちと出会うのだろう?ふと考える。

考えても答えは出ないから、スマートフォンを開く。

「人が一生のうちに出会う人の数
何らかの接点を持つ人が3万人。
そのうち近い関係(同じ学校、職場、近所など)が3000人。
さらにそのうち親しく会話を持つのが300人。
友人と呼べるのが30人。
親友と呼べるのが3人。」
というそうだ。


あたしは1度大事な友人をなくした。
けれどある出来事でその友人とめぐりあい、関係は修復され再び関係は続いている。


人間関係は些細な出来事で壊れてしまう。
人の人生だって、「明日」さえ保証されていない。

だから
もし、あなたに大事な人がいたとしたら,,,

今、一緒にいるこの時間は、二度と巡ってはこないたった一度きりのものです。
共に笑ったり、泣いたり、時にはけんかすることもあるでしょう。
この一瞬一瞬を大切に過ごしてください。
みなさんにとっていわゆる「良い子」と「悪い子」の基準はなんですか?
良い子は成績がよくて真面目?
悪い子は反抗的?不真面目?

あたしの子どもの頃の視点ですが,,,
施設の子どもたちには、大分すると
「狼」と「羊」に分けられます。

狼とは、施設職員に対して、反抗的な態度をする者たちです。
「いちいちうるさいんだよね」
「親じゃないくせに、放っといてよ」
と、暴言を吐く、暴力をふるう。
もちろんそんなことをしていると施設職員のチェックに入る。
あたしが思うに、狼はみんながみんな悪い人ではなく他人とのコミュニケーションがちょっと苦手なだけ。
言葉は荒々しく反抗的な態度であっても、心の奥底にあるのは「自分を認めて」「私をもっと見て」。

それに対して羊とは、職員の言う事に従順に従う者です。
職員のやり方に従順であり、その行動に疑問を感じず言われるがまま。
みかけは素直に言うことをきく、手がかからない,,,だけど羊は「個性がない、言われた通りにしか動けないただの人」


「良い子」と「悪い子」
「狼」と「羊」

あたしはずっと疑問でした。
自分はなんなのか?
当時の自分を解釈すると,,,
あたしは羊の皮をかぶった狼だったと思います。
親に暴力をふるわれて育ったおかげで人の顔色・感情を読み取ることを自然と身についていました。何をすれば人が喜ぶか、怒るか。
自分の感情は「狼」だったとしても、羊の中にまぎれ自分の感情は押し殺していました。そうすれば自分はけして、誰にも敵対されることはないだろうから。

いわゆる「模範生」として生きた子ども時代。
大人の言うことが理不尽だと怒りを募らせたとしても、感情を押し殺すことに慣れてしまうと感情を素直に表現することが難しくなります。
そして、いつの日か表現すること自体諦めていました。



大人はボーダーラインで子どもを「良い子」か「悪い子」を判断する。
ちょっとでも自我が強すぎて羽目を外すと狼の仲間入り。
自我が強くても、リーダーシップをとり小さい子たちへの面倒見がいいと羊の仲間入り。

手のかからない子は育てやすいかもしれない。面倒見のいい子は良い子かもしれない。でもそれは本当にその子のありのままの姿でしょうか?



みんながみんな「羊」なら、
飼い主の言いなりでしかない、ただの檻の中での住民だ。