最近目にしたこと。
「現在のわが国における社会的養護の状態は、国家レベルのネグレクトと言う」

乳児院や児童養護施設に子どもが保護されることも"ネグレクト"
,,,親に虐待・ネグレクトされた上に"国家レベルのネグレクト"?と首を傾げてしまいました。

養子縁組や里親の重要性は理解している。「子どもは家庭的環境で育つべきだ」
,,確かにそうだと思う。
けれど,,,養子縁組や里親たちが「施設をタブー視」するのはどうかな?とあたしは思う。
乳児院や児童養護施設に保護され、救われる命だって存在しているのだから。

施設に頼らざるおえない状況(親元で育てられない子どもが増加の一方、養子縁組や里親の数はまだまだ少ない)をふまえた上で,,,今後、国事態の考え方が変わらなければ児童養護は変わらないと思う。
人には「自己肯定感」とゆうものが存在します。
私は存在価値がある、必要な人間だ、大切な人間だ、私は私でいいんだ、という気持ちのことを言います。


0歳から3歳の間に「自己肯定感の土台」が出来上がります。
両親からの愛情を通じて自分は大切な人間であるという気持ちが育まれます。
その土台ができて初めてできるのが「しつけ」です。
3歳から6歳の間に、自分の物と他人の物の区別がつき、順番や約束を守れるようになります。
そして、その上に成り立つのが「勉強」です。
2つの土台がしっかりできていると、6歳ごろから様々な好奇心が生まれ、勉強することで知識が身に着くようになります。


子どもは依存と自立を行ったり来たりしながら育っていきます。
依存は甘え、自立は反抗の事です。
生まれた時は依存した状態です。
手を握る、ハグするといったスキンシップをはかる事で子どもは心地良くなります。
自分は大切にされているという自己評価が育ちます。
しばらくすると、不自由だと思い、自由になりたいと思うようになります。
これが意欲となり、自立へと向かいます。
そうすると今度は不安が芽生え、また依存に向かいます。
この繰り返しにより自己肯定感が出来上がっていきます。


この自己肯定感が低いと"自分なんて,,"と否定的で、自分は「自分という人間」を愛せません。

あたしも自己肯定感が低いせいか、人間関係で悩むことがあります。
「お前なんて生まれてこなければよかったのに」
「あんたは捨てられた子、うちの子じゃない他人の子だ。」
,,,そう言われて育ったせいか、人からの優しさを素直に受け入れにくい。

どんなに
優しくされても、
抱きしめられても、
「どうしてあたしなんかを?」
と疑ってしまう自分がいる。

自己肯定感を高めるには「インナーチャイルドを癒す」ことが大切と言われています。


インナーチャイルドについてはまた違う機会にお伝えします。
人との距離感を考えたことはありますか?
社会心理学的にはパーソナルスペースとゆうものがありますね。
パーソナルスペース= コミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる、自分の周囲の空間(心理的な縄張り)を指します。

初対面では緊張・恥ずかしさで、ある程度の距離感。そこから親しくなるにつれ人との距離感は近くなっていく。
けれどあたしにとってそれは、時に居心地悪く感じることがあります。
過去が過去なだけに,,,昔から人との関係を築く際に「見捨てられ感」が拭えません。いつ人に捨てられるのだろう?その恐怖と葛藤しながら人との関係を築いていく 。何かの拍子で関係が壊れるのが怖い。親密が怖い。親密になればなるほど関係が切れたときのショックが大きい。
もう1つの理由は自分が保育士としての「与える愛情」を知っていても、「与えられる愛情」に慣れていない。

そのせいか,,,人の温かさが怖かったりする。

人の温かさが怖い反面、人の温もりを人一倍求めているのも本音。
さまざまな葛藤が渦巻き,,,時々どうしようもないほど人間関係に悩むことがあります。

人は、人を信じることによって、人で構成された社会の一員として、秩序を守りながら生活することができる。人を信じられない子どもは、その構成された社会へ信頼感をもてず生きづらさを感じながら生きていく。
本来子どもは、無条件の愛情を与えてくれる大人から信頼することを学ぶことで、その信頼する大人を通して、その大人の所属する社会を信頼することを学ぶ。

どんなに社会に生きづらさを感じながらも、生きていくしかないのです。
幼い頃に学ばなかった人との信頼を、大人となった今,,,少しずつ手探りで身につけていくことが「信頼できない人間」の生きていくうえでの"歩み"なんだと思う。