皆様こんばんは
さて、今度こそ着地したいと覚悟を決めて登場しました。
商業音楽と芸術作品の境界線をLayoverに探す旅。
第三弾です。
音楽の成り立ちや時代の推移に伴うその変遷について考えた時に
経済と商業の領域を超えて芸術として次代に残るためには、ある種の普遍性や時間軸を超えたクオリティが必要なのではないかという所まで、お話しをして来ましたが…
今では、生真面目な顔をして音楽の教科書に載っているモーツァルトやベートーヴェン。ショパンやリストも
生きていた当時は
「今どきの音楽家」だったのです。
楽譜を売ったり、お弟子さんをとったり、コンサートをしたり…その時代の経済の中で創作活動をしていました。
リストなんて、コンサートでは汗を拭いたハンカチを投げて聴衆のご婦人方を失神させていたそうなので、まさにアイドルですね笑
けれど、彼らの作品は
芸術として後世に残っています。
テテは今現在、
BTSという商業ベースに乗ったアイドルグループの中で活動していますが、
はたして彼はまだアイドルなのでしょうか?
あのLayoverというアルバムは、アイドルの商業作品なのでしょうか?
バンタンのメンバーは、韓国の芸能界という特殊なフィールドで10年を過ごして来ました。
その道のりは決して平坦ではなく、
ことに男性アイドルは
「兵役」という国の制度によってその活動のタイミングが制限される事が少なくありません。
Chapter2に入り、メンバーがそれぞれにソロ活動をし、
アルバムを制作し、ビルボードのチャートに入ったり、グラミーへのノミネートが話題になり…
でも、それは全て、
商業や経済のベースにのった評価基準でしかないのです。
勿論、今を生きる彼らが、今の基準で一定の評価を得るのは、当然喜ばしい事です。
けれど、敢えてあのアルバムは
売り上げや数の評価を超えた地点から生まれています。
そして、ここでやっと、今朝の記事に書いたミン・ヒジンさんの言葉に戻ります。
Vは、もう売り上げや成績に拘らなくて済む人。
作り上げたプロデューサー本人が、そう語るのですから、間違いありません。
それを可能にしたテテのアーティストとしての実力と人気は、もはやiDOLとしての枠を超えたところに輝き始めたのではないかと思います。
それって、まさにARTの入り口なのではないでしょうか。
とは言え、売り方や買い方についてそれぞれ賛否両論もありますが、それは音楽そのものの価値とは別の議論の対象でしょう。
あのアルバムを昨年の夏からずっと聴き続けて、それでもまだ聴きたいと思える。
いつまでも聴いていたいと思える。
そんな美しい音楽です。
もしも私がバンタンと出会わず、テテに魅せられていなかったとしとも、
あのアルバムには、きっと出会って手にしていたはずです。
そんな美しい作品に巡り会えたことを
私は心から感謝しています。
さて、なんとなくフワッと終わったような感じなのですが、
多分、もう一度だけ、この事に関連した記事を書く予定です。
え、
まだあんの?
うーん、ごめんねー。
でも、きっと、今度こそ終わる!
終われるはず!
終わんなかったら、僕もう寝ちゃうからね。
あ。うん。
ごめん、グゥちゃんはもう寝てていいからね。
という訳で、
すみません。
もしここまでお付き合いくださってる方がおられましたら、本当にありがとうございます。
画像はお借り致しました。