爺々、自分を知ってます。
本当に、駄目な奴です。
むしろ、このままでは、落ちこぼれ。社会的評価も最低です。
本当に、駄目な奴です。
成功もしていません。
だからこそ、可愛いんです。愛おしんです。
手助けしてやりたいンです。アドバイスしてやりたいんです。
誰も認めてくれなくったって、どう非難されようとも、
自分のことは絶対に自分で守りぬいてやりたいのです。
自分が旨くいかないからって、
世の中がわるい、社会がわるい、非難する世間が悪いなんて、
絶対に思っていません。
自分が旨くいかないのは、すべて自己責任。
そう思って生きてきました。
これが自分との、向き合い方です。
もっというと、これが本当の自分の体との向き合い方です。
体の中には、本人も知らない生きる力や沢山の知識、情報が蓄えられています。
先にもいいましたように、普通にやっていても、運転能力、タイピング能力など、丹念に訓練を繰り返せば、体の中からすばらしい適応能力は引き出せます。
でも一流に成るとか、夢を叶えるとか、自己実現とか、成功してみせるといった願いは、そう簡単に実現してくれません。
それは何故でしょうか? どうしてでしょうか?
そのことになると、爺々もよくわかりませんが、
自分の体の中から能力を引き出すにも、
自分の体と向きあるホームポジションといったものがあるような気がしてなりません。
駄目な自分でも、自分のことは自分で信じて、自分を愛おしく思う気持ちは絶対に必要だとおもいます。
世間が自分をどう非難しようとも、自分だけは自分を信じて、我が身は絶対に自分で守る。
たとえ今、自分の思い通りにならなくとも、それを社会や他人の責任にして非難するのではなくて、自分に関して世の中で起こる出来事は、すべて自己責任。そういう覚悟を定めて、
自分のこころと本気で向き合う。
そして、楽天的に生きる。
この歳になって爺々、初めて気付きました。
体と向き合って物事を成し遂げるにも、オームポジションがあるような気がしてなりません。
今からでも遅くはありません。
爺々、もう一度初心にかえって、体と向き合いながら、
楽天的に生きて、
人生の集大成、引き出してみたいです。
そう思ってる矢先、
偶然か、通じていたのか?
東京の若い奴から、メールが入りました。
一寸、時間がつくれそうだから、7月に行ってもいい?
彼奴(きゃつ)、例の、
「爺ちゃん、夕映えのする人生、見せてよ!」
と、言った奴です。♪♪♪