楽して、楽しく、手っ取り早く生きたい。
だから思い込みというか、鵜呑みというか、観念で理解して、本質が見えてない場合が多い。
昔、新聞で読んだ記事。
港の見える丘の上。小学生の写生大会。
皆が、皆。水平線の上に船を描いた。一人だけ水平線の下に船を描いた子がいた。先ず先生が驚いた。切り取りが旨くて斬新な構図で、子供とは思えぬ迫力のある絵だった。その子の言い分。
「だって、このように見えるもん!」
小学生にして、皆が皆、船は水の上に浮く物という観念で物を見て人生を決めている。
だが一人だけ違った人がいた。それが少年の日の手塚治虫だった。
自分は何がしたいンだろう? 自分の興味って何だろう?
その探究心が物事の本質を見極め、人を育てて、人生を決定しているのかも・・。
前にも書いたように、車を運転したいなら足下を見ないで、足そのものに踏み込みを覚えさせる。パソコンを操作したいならキーボードを見ないで、指先に配置そのものを覚え込ませる。
頭を使う必要は無い。繰り返し繰り返し指示してやれば、体はその通りに覚えてくれる。
人生もまた繰り返し繰り返し、夢と願望を打ち込んでやれば、体が覚えて、その通りになる。
爺々、これまでいろんな物に手を出し、失敗に終わっている。
手っ取り早く、楽して生きたかったからだ。
それで人と同じように、いろいろと良さそうなものを追っかけた。恋人が欲しい、車が欲しい、マイホームが欲しい、いい暮らしがしたい、・・・と。
より良く生きるために自己投資もずいぶんやった。
でも結論は自分の夢と願望を、本当に生きようとしたのなら、
それを体に覚え込ませるために、その決定打を生涯掛けて体に打ち込ませ続けているか! ・・ということである。
少年の日に夢見た漫画家、その初心を忘れないで、体に覚え込ませるために、今も毎日毎日一本の ―― を引き続けているかということである。
その探究心が、脳内カメラなり、蓄積され心のアルバムとなり、それが脳内回路となり、やがてそれが出口を求めて、出力回路となり、外界に波及効果を及ぼすほどにしてきたかということである。
誰もがやっている。車の運転、パソコン操作、慣れるまでの原点を考えると、体から能力を引き出すことは誰だって出来る。
爺々は挫折しているけど、速読法って、一瞬にして脳内カメラで読み取っているのかな? と思ったりなんかもして・・。
瞑想法、丹田呼吸法、自律訓練法、ヨガ、色々ブームもあって、
爺々はどれもマスターしていなくて偉そうなことはいえないけど、
まぁ、人生の集大成、爺々まだ夢を捨てたわけじゃないから。(笑) ♪♪♪