・・・だから清の墓は小日向の養源寺にある。
(明治39年4月1日)
死なれては困るのだ。
だから必死になって、『坊ちゃん』その後日談を探し求めて、駆けずり回った。
漱石は何故、それを書いてくれなかったのか?
・・もう読書遍歴というよりも、
それはもう、人生そのものを賭けた過酷な旅だった。
もちろん、『こころ』読みましたよ。
でも遺書・・、何て?
二十歳そこそこの若者には、ちんぷんかんぷん。
分かっているのは、早急に手を打たないことには、自滅する。
本当に、思春期って危なっかしくて・・。
全くもって、支離滅裂に賭けづり回ってた。(笑)
御陰さんで、面白い場面設定が与えられ、可笑しな出会いが生まれ、人生は全く想定外。
今、ある、自分には感謝しているけどね。
兎に角、生きていくためには・・。
理想は理想として・・、
自分の一生は自分で賄う。つまり経済的な自立。
日々の生活費も嵩む。賃金も安い。事情あって結婚願望もない。
・・となると養育費は不要。酒もタバコやらない。
面白みのない味気ない人生。
先ずやったことは、座標軸をずらす。
将来のために、夢のために資金を備蓄する。
備蓄方法は二足の草鞋。つまり労働収入と労働外収入。
労働外収入とは労働で得た収入の中から、一部を資産運用に回す。自分はそれを勝手に「人生は二毛作」、表稼業と裏稼業と呼んでいたけどね。
そして時代は大きく変わった。
目をわるくして億劫な読書も、今や朗読音源で楽しめる時代。
若い頃、投げ出した漱石の『こころ』と、
今回、再会。
感動しました。
自分はわかります。
漱石は『坊ちゃん』の後日談を、
この『こころ』の中に書いてくれていました。
座標軸をずらすことによって、見えてくるモノ。
その値打ち、その真価に、もう吃驚仰天という他ないです。
兵庫、ド田舎、傘寿、独居老人。
自分は漱石が『こころ』に込めたほどの、
遺書を書く相手を得ているか・・?
歳月を経て、自分は、
興味深く、漱石の『こころ』を拝読させて頂きました。