スコットランド旅行記 47:エディンバラ城 | 旅中毒

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2019/5/4

 

この日はエディンバラ城をたっぷり楽しむため、丸一日を割く予定。開館時間ピッタリに入れるよう宿も早くに出発しました。まあ、すぐ近くなんですけどね(宿の立地、ホントにいいでしょ…)。でも人の姿もまばらなロイヤルマイルや、丘の下の町をブラブラ散策して、楽しく時間を過ごしました。

 

エディンバラ城は丘の上にあるので、外からだと見上げる形になるのだ。威風堂々。

 

お城の前には広場が。ミリタリー・タトゥーでは両脇に観覧席ができ、バグパイプ隊が演奏する。

 

上の写真の門の内側にチケット売り場があり、次にこの門を通る。スコットランドの国章が見える。

 

入り口からずーっとまっすぐ入っていったとこ。右側にはカフェとかもある。お昼をここで食べようと思っていたけど、入ってみて何だかピンとこないなと思ってやめちゃった。

 

上の写真の突き当りにはスコットランド国立戦争博物館があります。近世~現代の展示がほとんど。好みで言えば守備範囲外だけど、興味深い展示でした。

 
エディンバラ城が文献に出てくるのは1093年が最初らしい。この年にスコットランド王マルカム3世が戦死している。間に4人を挟んだ5代後の息子デイヴィッド1世の治世に本格的に王家の城塞となった。当時はすべて木造だったけど、13世紀にはすべての建物が石造りに建て替えられたとか。木造の時代を見てみたいねえ…。11世紀とかさあ…。タイムマシン…
 
1296年に城はイングランド軍に攻め落とされ、1318年にはスコットランド軍が奪還したけど、今後イングランド軍に利用されないようにと破壊。その後も取ったり取られたりしながら破壊と再建を繰り返したので、建物それぞれに年代は違う。でも近世になってから全体的に大掛かりな改修が施されているそうなので、建物としてはそんなに古いお城ってわけではないのだ。

 

司令官の邸宅(右手前)や兵舎(右奥)を右手に、王宮や大広間がある区画(左側)に向かう道。

 

かっこいいんだけど……  これは1日は要らんな…と言う気持ちが強くなってくる…。

 

エディンバラ城は、私の好みとはちょっとズレがあるしな。私はもっと古い時代のお城が好きなんだろう。中心に天守があって、その周りを城壁と塔が囲んでいるとか、城壁に城館がくっついていて、塔の中に城主のお住まいがあるとか、そういう…(専門用語は知らん)。エディンバラ城やスターリング城は、城壁の中に王宮や教会、各種施設がバラバラに建てられているのだ。と言っても、プラハ城やブダ城みたいに、王宮や大聖堂、教会、官庁だけでなく商店や職人街まであったひとつの町ってわけでもない。一口に城と言っても本当に個性があるよねー。

 

こちら、右がスコットランド国立戦争記念館、左が王宮。

 

国立戦争記念館のある場所には中世には教会があった。それが後年、王室礼拝堂だの倉庫だの兵舎だのと使途が変わり改築を重ね、1920年代に戦争記念館が新たに建設されたそうな。隣の王宮は、メアリ・スチュアートがジェームズ6世を出産した場所でもある。でも王族の住居だったのは17世紀初頭まで。ジェームズ6世は1603年にイングランド王位を継いだらすぐロンドンに引っ越して戻ってこなかったから。念のため、スコットランド王ジェームズ6世はイングランド王・アイルランド王ジェームズ1世です。

 

クラウン・スクエアに入って振り返る。

 

王宮内にあるジェームズ6世の謁見室と、王宮のお隣にある大広間。

 

 

ジェームズ6世、即位50周年(ちなみに1歳で即位してる)のお祝いに一回戻ってきただけなので、この謁見室も一回しか使われなかったって。メチャクチャお金かかっただろうに、もったいない。

 

王宮の中には様々な宝物と一緒に「運命の石」が飾られている。聖地パレスチナで聖ヤコブが枕に使っていたという言い伝えもある(痛そう)。500年頃にこの石をアイルランドからスコットランドに運んだ人が王国を建国した経緯から、スコットランド王家の守護石とされるようになりました。

 

スクーンに運ばれてからは、スクーンの石と呼ばれるように。そして1296年、イングランドがこの城を攻め落とした際に戦利品としてロンドンに持ち去り、王の椅子にはめ込んで戴冠式で使うようになった。歴代の英国王たちは、このスコットランド王家の象徴をケツに敷いて戴冠してきたのだ。1950年にはスコットランドの大学生グループがウェストミンスター大聖堂から石を盗み出す事件も起きている。すげえな! 捕まって石も戻ったけど。(その際に2つに割れちゃったって)

 

1996年にやっとスクーンの石はスコットランドに返還されました。実に700年ぶりの帰還であります。

撮影禁止だったのでパンフレットからちょっとだけ無断転載… 之もアカンよな、すみません。

 

エディンバラ城で何よりも見たかったのがスクーンの石だったので、まあ、これを見れたら満足です。ところで、日本語のウィキペディアには、聖ヤコブがこの石(230kg)を頭に乗せたと書いてある。そうなの? 奇跡なの? でも枕だし、「頭を石に乗せた」の間違いとかじゃないの…?

 

 

お城に残る唯一の中世の建物、聖マーガレット礼拝堂(12世紀)。

 

この↑写真は出てきた後で撮ったので人が並んでいますが、私が入った時はおばあさま二人が静かに座っているだけで、「皆こんな地味な建物には興味がないのかしら」とか思っていたのですが…

 

1時を過ぎたら人であふれかえった。人がおらん間に写真を撮ってしまえば良かったわ。

 

なぜ1時かと言うと、エディンバラ城名物「ワンオクロック・ガン(午後1時に空砲を鳴らす)」を見物すべく、皆がそっちに集まっていたのだった。まさかそんな理由でガラ空きなのだとは思わんかった。


ステンドグラスは1922年のもの。これは聖マーガレットとウィリアム・ウォレスね。他に3枚あって、聖アンドリュー(12使徒の一人でスコットランドの守護聖人)、聖ニニアン(4~5世紀の伝道者)、聖コルンバ(6世紀の伝道者)というひれ伏しそうになる面々なので、ウォレスの扱いのすごさが際立つね。

 

 

マーガレットは1045年に生まれたサクソンの姫君。ノルマン・コンクエストによりイングランドから脱出したものの船が難破し、スコットランドの海岸に打ち上げられ、マルカム3世と結婚したの。スコットランドにおける教会の行事や典礼をそれまでのケルト式からローマ式に改めさせ、その功績により死後に列聖されたそうな。(ケルト文化が残った方が面白かったのにと思ってしまう外国人の異教徒であるワタクシ)

 

この礼拝堂は、息子デイヴィッド1世が亡き母上のために建てたものです。1314年にロバート・ザ・ブルースがこの城を破壊する際にも、この礼拝堂だけは壊さなかった。戦乱を通して城は荒れ果てますが、ロバートは死の床でマーガレット王妃の物語を語り、礼拝堂の修復を命じたとか。

 

こちらはクラウン・スクエアの下にある、18世紀~19世紀に使われた捕虜収容所。一番若い捕虜はトラファルガーの海戦で捕えられた5歳の鼓手だったってさ。リトル・ドラマー・ボーイ…。

 

収容所の展示の続きだったかなあ、スコットランドの歴史や昔の武器を紹介するコーナーは面白かったわ。カタパルトの模型とか、アレクザンダー3世(ノルウェイからヘヴリデーズ諸島を奪還した人ね)の嵐の中での落馬による最期などを描く切り絵風のアニメとかもあった。

 

これ書くまで忘れていたけど、ショップで蜂蜜入りのウィスキーのミニボトルを買った。お土産にした。

 

 

こうして見るとエディンバラ城も充分町っぽいね。

 

 

これは正門の内側だな。

 

今イチ気に入らんと言いつつ3時間半くらいはおりました。ここには書いていない展示も多かったし。でもお城好きがよく言う、「エディンバラ城は下から見上げているのが一番良い」というのも理解できちゃった。いえ、期待とはズレがあったってだけで、エディンバラ城は素晴らしいんです。むしろ、好みじゃないのにこれだけ時間を使っちゃうくらい規模も大きく、見どころがたくさんあるのだ。

 

 

他の人のブログを見ていたら、「ついにエディンバラ城に来ました」みたいな出だしで、建物だけでなく戦争関係の博物館の展示を、たくさんの写真とたくさんの「!!」がついた文章で詳細に紹介している、興奮と感動のレポがありました。歴史ミリタリーマニアさんらしく、連隊の構成や歴史を細かく説明してあって目が滑る… 笑

 

同じものを見ても、趣味の違いによって、ブログに報告する内容も感想も評価も変わるのだ。