チェコ旅行記 2 : 「スラヴ叙事詩」 | 旅中毒

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プラハに降り立って、市街に出るべく空港の外に出た時、最初の感想をツイートしましたよ。「大阪より暖かい」と。なんなのこれ。私の用意した極ヌク下着「ひだまり本舗」は何のためだったの。

さて、到着初日の予定はムハ尽くし。美術館のはしごです。まずは何と言っても、「スラヴ叙事詩」ね。全20点がプラハで2015年いっぱい展示されているとのことでしたので。(その後2016年いっぱいに延長されたし、2017年には日本に来ると発表されてましたがw)

目指すはヴェレトゥルジュニー宮殿です。……が、ここに行きつくまでも一苦労でしたわ。路線図を見てテキトーに「ここで乗り換えて、こっちの線に乗って3駅…」とか何とかやってみたのですが、着いた日が土曜日でしょ。線によっては休日ダイヤで本数が少ないんですよ。心細かったわ。んで、乗ったら乗ったで、「あっ、違う!これ方向逆だった!」と慌てて降りて、「あっ、違う!今ので合ってた!」と次のに乗ろうと思ってたら、同じ場所にある別の線の駅に同じ方向行きのが来たから「待って、待ってー!」と慌てて乗り込み…。ほんの短い距離の移動にどんだけ苦労したことか。まあ初日はそんなもんですけどね。

んで、目指す駅で降りたら今度はどこにヴェレトゥルジュニー宮殿があるのかわからなくて。実際にはすぐ斜め前くらいだったんですけど、いや、宮殿って言うからさ…。

まさかこんな形だと思わなかった。調べてなかったわけじゃないけど、見るたび「???」と思ってた。これがホントにヴェレトゥルジュニー宮殿だったとは。



やっとたどり着きました、ムハのスラヴ叙事詩…。写真OKなので丁寧に撮ってきました。が、まあ、コンデジだし脚立もないしで、ろくな写真がないわw 暗くなってしまうから色を調整すると白っぽくなるし…。ま、何枚かお気に入りを。

この20作の連作はスラヴの人々の年代記です。私が一番好きなのはこの一番最初の絵。神話の時代です。スラヴの神様スヴァントヴィトを、正義を表す若者と平和を表す娘が支えている。左下にうずくまるのはスラヴの農民で、侵略者たちの暴力から逃げている、受難を表しているんですって。



これは9世紀の後半ごろ。最初のスラヴ人国家、大モラヴィア国では、ビザンチン帝国から派遣された聖職者によって、自分たちの言葉での礼拝、自分たちの言葉で書かれた聖書を手にしました。しかし左上に、カトリックの司教たちが迫ってきている…




バルト海に浮かぶルヤナ島には古代スラヴの神スヴァンヴィトを祀る神殿が見つかっています。この絵は、スラヴの神々を称えるお祭りの様子。しかし左上にはゲルマンの神々が迫り、右下には傷を負ったスラヴの騎士の姿が…。



これはブルガリアのシメオン皇帝。彼は非常に知識と教養のあるインテリで、彼の時代のブルガリアはスラヴの文化センター的な存在だったそうです。カトリック勢力によって大モラヴィア国から追放された正教の聖職者たちもブルガリアに亡命したそうです。この絵も好きだわー。





これはオトカル2世が豪華絢爛な結婚式に近隣諸国の君主を招いている様子。1261年。オトカル2世はボヘミア(今のチェコ西部)をヨーロッパ屈指の強国に育て、「黄金の王」という異名を持っています。



これは1346年のセルビア皇帝ステファン・ドゥシャンの戴冠式の様子。長く続いた混乱の後、この時期にセルビアは強大な王国となり、スラヴの春とよばれる時代が訪れました。




この3枚が中盤のクライマックスですね。中世チェコの宗教改革を描いています。



左は、クロムニェジージュのヤン・ミリチ。カレル4世の宮廷で副大臣を務めるほどの政治家でしたが、教会の腐敗に激しく怒り、1372年に私財をつぎ込んで娼館を修道院に改装。そこは娼婦たちのシェルターとなりました。

真ん中が中世チェコの大宗教家ヤン・フス。カトリック教会の腐敗を厳しく批判し、プロテスタントの先駆けとなりました。マルティン・ルターが「心の師」と呼んだ人です。対立する勢力との議論のため赴いた先で姦計により捕えられ、異端審問にかけられた後、1415年に火刑に処せられました。この処刑に関し、2000年にカトリック教会がチェコ国民に対して謝罪したそうです。この絵は1412年のプラハでのヤン・フスのプラハでの説教の様子を描いています。


右側の絵は1419年のクジージュキの集会です。ヤン・フスの処刑の後に続いた混乱を経て、ここクジージュキで開かれた集会を契機に、信仰に生きる運動、宗教戦争、農民闘争などがヨーロッパに広がっていったのです。



これは1420年のヴィトコフの戦い。ヤン・フスの後継者であるヤン・ジシカ率いる農民軍が、攻めてきた異端撲滅十字軍の大軍を撃破しました。



フス派の中には、急進フス派とは違う平和路線を歩んだ人々もいました。ペトル・ヘルチツキーがまとめあげたチェコ兄弟団です。「悪をもって悪に報いるな」と説くヘルチツキーは、絵の真ん中で復讐を叫ぶ若者の手を抑えています。文豪トルストイは彼を「中世最大の偉人」と呼んでいます。



ちょっと北に移って、1410年のグルンヴァルドの戦い。ポーランド・リトアニア連合軍とドイツ騎士団による、ヨーロッパ中世最大の合戦です。前に記事に書いたことあるので、良かったらお読みください。(グルンヴァルド古戦場跡 in ポーランド



全部載せるのもウザいと思うので、オスマントルコとの戦いとか、ロシアの様子とか、ちょっとスキップ。


これは17世紀前半の偉大な教育者、ヤン・アーモス・コメンスキーです。同年代の人間が一斉に学校に進み、全員に教科書を配布する。このシステムを生み出したのはこの人。知の共有が世界平和をもたらすと言う、ユネスコの基本思想ともなっている理想は、彼が提唱したものです。命が尽きようとしているコメンスキー師の静かな姿…。この絵も本当に大好き。



これは連作の最後を飾る作品、「スラヴ賛歌」。



1918年の、チェコ・スロヴァキアのオーストリア=ハンガリー二重帝国からの輝かしい独立を表しています。青の部分には古代スラヴの神話の時代を描き、黒い部分にはスラヴと対立してきた勢力を描き、赤い部分にはフス派の戦いを描き、白い部分に独立後のスラヴの人々の栄光を描いている。



とまあ、この20作はスラヴの歴史をたどっているのです。この連作を見れば歴史をざっと掴むこともできますが、やっぱり先に簡単でいいので歴史を少し頭に入れておくと絵をより楽しめると思います。私も、チェコ史をさらっとでも勉強しておいて良かったーと思いました。ああ、あの人たちが…、あの場面が…!と感動でしたわ。


で、この後はムハ博物館に行く予定でしたので、そろそろ移動しなくちゃ、もう1時間くらい経ったわよねと時計を確認したら、2時間を軽く超えておりました…。まあ、そりゃあねえ、20枚ありますからねえ。120分あったって、1枚につき6分しかありませんし。


ムハ博物館、行って行けなくもなかったけど、慌てながら駆け足で見るようなことも、したくはないしねえ。旅行の最後の日に行くとか、スケジュールを少し考えることにして、閉館までスラヴ叙事詩を楽しむことにしました。


ちなみに入り口の近くに分厚い図録があり、読めるようになっています。この本の素晴らしい所は、絵の細部を見れるようになっていることです。絵の見どころをじっくり解説してくれているの。英語ですけど、英語がわからなくても絵の細かい部分を見れるので楽しいですよ。これを読むだけでまた2時間必要だわ…。時刻ギリギリまで読みふけりましたが、係りの人が「もう閉めますので…」と言いに来たので、未練を残しつつ去ることになったのでした。


また見たいなあ…。



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