ここが入口… って、なんでもうちょっと左に寄せて撮らなかったんだろ?

宿を出たところにこのお城の入り口があるのですよ。
お城に向かって左手はこんな風。

この緑色の建物の1階にツーリストインフォメーションが入っています。ここのお姉さんは英語が話せる。
向かって左の道を行けばユリシチ広場、右側の道は城壁の外へと続く道です。
上の写真の右奥にも写ってますが、このレストラン、お城の間にあるという絶好のロケーション。ここでハンガリー料理を食べることができますので、お昼はここで食べちゃおうかな…とも思ったんだけど、

せっかくサンドイッチを持ってきているんだから、そのレストランの前にある芝生の上でピクニックランチにしました。元はお堀だったところね。今は埋め立てられてベンチが置いてある。

さて、お城の門をくぐって中に入る。

昔のお城の模型を再掲。上の写真は、手前の大きな門を入った広場ね。

現在の町並みを真上から見たところ。(グーグルビュー)

このお城が最初に文献に出てくるのは802年だって。その頃はもっとシンプルなものだったと思いますが。中世に入って、領主の居城として使用されるようになった。
何度かの戦乱を経て所有者は入れ替わりますが、14世紀になってからオーストリアの侵略に備えて堅牢な城壁を作り始めた。しかし結局、15世紀の終わりにオーストリア帝国の所有となります。
お城で、そしてクーセグで最も有名な出来事は、1532年のオスマン帝国の攻撃です。ウィーンに向かうオスマントルコ軍は12~14万といわれる大群でした。途上にあった要衝の町クーセグは当然襲われます。8月5日から30日までの25日に及ぶ包囲で、19回もの熾烈な攻撃が加えられました。
しかしクーセグは、ハプスブルク家に仕えていたクロアチア出身の軍人ユリシチ男爵の指揮のもと、大砲すら持たないわずか800名の兵士に守られて攻撃を耐え抜きました。結局オスマントルコ軍は攻略を諦めて、引き返していったのだそうです。
(天候やら何やらの理由で引き返しただけと言う説もありますが、クーセグの誇りとしては、この町がウィーンをオスマン帝国から守ったということになっているらしい)
お城は1695年に、ハプスブルク家に忠誠を誓うハンガリーの大貴族、エスターハージー家の所有となりました。第1次世界大戦後のオーストリア・ハンガリー帝国崩壊を受けて1931年にハンガリー王国のものとなり、1932年から「ユリシチ城」という名称で呼ばれるようになりました。
門を入ったところに更にお堀があるので、橋がかかってます。

内堀ももう埋められてるので、こんな感じになっちゃってる。

クーセグは1777年に大火災に見舞われ、お城も大きく損傷しました。
この写真でも、焼け残った古い部分と修復された部分の差は明らか(明らか過ぎ…)。
古い建物の1階には土産物屋がありましたわ。
右側は修復を重ねてピカピカになっておりまして、クーセグの郷土資料館が入っています。町の歴史や産業の説明が興味深い(英語表記もあり)。古い器具の展示などもありますよ。

歴代の町の有力者たちの肖像画らしい。
ここでカフェでもやってくれたらいいのになー。夏ならやってるのかもね。

見学ルートはほぼすべてこの新しいところなので、古い建物を楽しむという点ではさほど面白くはありません。
でも地下室は古いままで残っていて、いい感じ。

中世の宴会の様子を再現しているらしい…。
この横には、古い武器を展示している部屋もありました。色んな剣や槍、弓矢など。
展示と言うか、触っていいのかな? 家族連れが武器を構えて写真を撮って遊んでました。

