【2024年6月10日(月)】 天候∶霧雨後曇り


AM4:00 起床。訪問予定の記念館の開館時間を考慮して、AM5:20 本日の目的地である松前郡松前町へ向けて出発です。


国道228号線を進むと福島町に入りました。カントリーサインは特産のイカが横綱の化粧回しを付けているものでした。

大千軒岳登山口。昨年の10月、ヒグマによる事故が発生しました。犠牲者もここから入山したと思われます。自分は山には入らず道路しか進みませんが、山の中の道路を歩くことは登山と変わりありません。この先、十分注意したいと思います。


 福島町青函トンネル記念館に寄りました。トンネル工事の歴史、青函連絡船沈没事故の記録を勉強したいと思います。


大正時代に発表された津軽海峡のトンネル計画は、昭和29年に起こった青函連絡船の洞爺丸台風の事故で、一気にその気運が高まったとのことです。

トンネルボーリングマシンがありました。シアターでは先進導坑、本坑の貫通時の映像が流され、正に「プロジェクトX」という感じて感動的でした。

 続いて横綱千代の山・千代の富士記念館に寄りました。第41代横綱千代の山と第58代横綱千代の富士の記念館で、共に福島町出身です。一つの町から二人の大横綱が出たことは凄いことだと思います。


横綱千代の富士のコーナーには、賜杯や化粧回しの数々がありました。流石です。

横綱千代の山のコーナーにも、賜杯や化粧回しの数々がありました。現役時代は知りませんが、大型の筋肉質の横綱だった様です。


九重部屋がありました。九重親方が土俵への立入禁止の見張りをしていました。

記念館の女性職員の方々から、出勤時に自分が歩いているのを見たと言われてしまいました。皆さんから、あちこちで熊が出ているから気を付ける様にと注意されました。

隣接する「道の駅横綱の里・ふくしま」には、のぼり旗が出ていました。ほとんど何も無い道の駅でした。

道路脇の薮でガサガサ音がしたのでドキッ!としたら、エゾシカでした。先程の話の後だったのでビビリました。

 伊能忠敬道測量開始記念公園。測量をしながら1日40kmを歩いたとされる偉大な方。蝦夷地の測量はここ福島町吉岡から始まったとのことです。わらじを履いて40km・・・。尊敬します。


Google mapで調べたお店が閉店していました。道中唯一の店でした。よって浜辺で昨日の晩ご飯の残りのパン1個で昼食休憩です。パンを食べて、お茶を飲んで、歯を磨いて、目薬をさして、日焼け止めを塗って、オシッコをして出発です。

覆道と隧道の繰り返しの道がしばらく続きました。北海道でよくある光景です。

本日の目的地である、松前町に入りました。カントリーサインは松前城でした。

 白神岬に来ました。北海道最南端の岬です。対岸には竜飛岬が見えます。木古内からここまで南下してしまいましたが、これから再び北上開始となります。


写真を撮っていたら札幌のチャリダーさん(左の方)に声をかけられ、談笑していたら東京から来たチャリダーさんが合流しました。歳は聞きませんでしたが、二人共自分と同じぐらいの年齢と思われます。健闘を称え合って別れました。

鉄道遺構がありました。国鉄松前線の鉄橋の橋脚と思われます。昭和63年に廃止になっています。

国道を進んでいたら、家から出て来たお母さんに声をかけられ、色々質問されてしまいました。最後に「熊には十分注意してね!」と言われました。熊の問題、深刻な様です。

松前城跡。福山城が正式名称だそうで、我が国最北に位置する最後の日本式城郭とのことです。西日本では毎日の様に城や城趾を見ましたが、城を見るのは久しぶりでした。


今日は松前郡松前町までやって来ました。PM4:30 本日の宿泊先である「旅館丹波屋」に無事到着しました。

部屋は和室の6畳間で、風呂、トイレ、洗面所は共同でした。洗濯、洗剤は無料でした。

明日は北海道檜山郡上ノ国町まで行きます。

【本日の歩行ルート】


【本日の歩行距離】

 ・38.8 km


【85日目迄の総歩行距離】

 ・3,141.2 km  (1日平均(実働)∶38.7 km)


【本日の支出】 

 ・麦茶 ¥140

 ・のど飴 ¥113

 ・青函トンネル、横綱千代の富士記念館 ¥700

 ・夕食、朝食 コンビニ ¥1,664

 ・旅館丹波屋 ¥5,500

 ・合計 ¥8,117


【85日目迄の総支出】

 ・¥697,771 (1日平均∶¥8,209)


【現在自分がいるのは北海道のこのあたり】