【2024年6月7日(金)】 天候∶晴


AM3:30 起床。昨晩の客は自分一人でした。自分が雪中行軍の話を持ち出したら、女将から色々不思議な話を聞いてしまいました・・・。怖い夜でした。


2018年11月に八甲田山慰霊ウォークを行い、青森五連隊の雪中行軍ルートを辿りました。今日も逆向きに進んだ弘前三十一連隊の雪中行軍ルートを進みつつ、再び青森五連隊の足跡を辿りながら、青森の市街地を目指します。

AM5:00 女将に見送られて出発です。


今日も県道40号線を北上します。馬立場までは上り坂が続きます。八甲田連峰が綺麗に見えました。

平沢第一露営地。青森五連隊の雪中行軍隊が一日目の晩に雪濠を掘って露営した場所で、この時点で死者が出ています。しばし合掌しました。


鳴沢第二露営地。青森五連隊の雪中行軍隊がニ日目の晩に露営した場所で、更に多くの死者が出ています。第一露営地からいくらも離れていないことから、雪中行軍隊が彷徨してしまったことを物語っています。


馬立場に着きました。ここが雪中行軍ルートの頂点となります。八甲田山連峰を望む雪中行軍遭難記念像の裏側には遭難者210名の名前が刻まれていました。
                                                                                                                                                                                                                                                                                              同じ馬立場の銅像茶屋が閉鎖されていまいました。鹿鳴庵という雪中行軍の資料館が併設されていただけに残念です。    

馬立場を過ぎると青森の市街地までは下り坂となります。この辺りの中の森第三露営地を通り過ぎてしまいました。


後藤伍長発見の地。救助隊が目を開けたまま気絶していた後藤伍長を発見した場所で、雪中行軍隊の遭難が伝えられました。      


幸畑陸軍墓地。青森五連隊の雪中行軍隊の内、雪中行軍で亡くなった199名と、生存したがその後に戦死した11名、計210名が眠っています。

墓碑、墓標が整然と並んでいますが、死後であっても階級による差が歴然としていることに驚かされます。
                                                                                                                                                                                                                        幸畑陸軍墓地の隣りにある八甲田山雪中行軍遭難資料館に寄りました。4回目の訪問となります。    

 青森五連隊のルートが赤の時計回り、弘前三十一連隊のルートが緑色の反時計回りとなります。今回自分は31連隊のルートである三本木(現十和田市)から青森まで歩いたことになります。


露営地で雪濠を掘って夜を明かしている様子です。雪を掘っても地面が出ず、釜焚きをしようとすると雪が溶けて釜が傾き、上手く行かなかったそうです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                               AM11:00、22km歩いた所の「つじい」で昼食休憩です。「カレーライス(中)」と「中華そば(中)」を注文しました。中華そばの麺は極細麺でしたが、その他は普通の中華そばとカレーでした。


今日は歩きの行程に余裕があった為、午後も観光をしました。まずは「ねぶたの家ワ・ラッセ」に来ました。 


青森ねぶた祭りを見たことはありませんが、素晴らしさが伝わって来ます。芸術的です。




自分が特に興味があるのは、針金の組み方です。ねぶた師は綿密な図面のもとに作製するそうですが、良く立体的に組み上げられるものだなと感心してしまいます。


続いて「 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」に来ました。八甲田丸は現役中、度々乗船しました。煙突の「JNR」の国鉄マークがカッコいいです。


昔、羊蹄丸にあった昭和30年代の青森、函館を再現した「青函ワールド」が八甲田丸に移設されていました。お台場の船の科学館にあった時に見ました。

青函連絡船の最大の特徴は鉄道車両を運べることにありました。1階の車両甲板には4車線がありました。函館の摩周丸は車両甲板に入れないと思うので、八甲田丸のこの場所は貴重な場所だと思います。

自分が大好きだった、キハ82系気動車も健在でした。

機械遺産 青函連絡船及び可動橋。昔、ここから鉄道車両を連絡船に乗せていたことがわかります。片側に車両を入れると船が傾き、バラスト水を入れて水平に戻し、また車両を入れると船が傾き、再びバラスト水を入れて水平に戻すの連続で、大変な作業だったそうです。

今日は青森県青森市までやって来ました。PM3:00、本日の宿泊先である「民宿台由(ウテナユ)」に無事到着しました。一般的な民宿かと思っていたらホテルでした。


部屋は洋室でトイレ、洗面台付き。風呂は大浴場を使用しました。

昨日、今日で無事、八甲田山を越える事が出来ました。
今日で総歩行距離が3,000kmを超え、予定する全行程の3/4を消化した形となりました。

明日は青森県東津軽郡外ヶ浜町まで行きます。


【本日の歩行ルート】


【本日の歩行距離】

 ・31.2 km


【82日目迄の総歩行距離】

 ・3,027.8 km  (1日平均(実働)∶38.8 km)


【本日の支出】 

 ・八甲田山雪中行軍遭難資料館 ¥270

 ・昼食 中華そば+カレーライス ¥1,550

 ・ワ・ラッセ+八甲田丸2館共通券 ¥930

 ・夕食、朝食 コンビニ ¥1,943

 ・民宿台由(ウテナユ) ¥6,600

 ・合計 ¥11,493


【82日目迄の総支出】

 ・¥670,583 (1日平均∶¥8,177)


【現在自分がいるのは東北地方のこのあたり】