【2024年5月27日(月)】 天候∶曇り一時雨


AM3:45 起床。今回の民泊には猫が5匹いました。


その内、3匹は子猫でした。踏んづけやしないかとハラハラしました。

黄色のテントは、テント泊プランの女性のものです。「みちのく潮風トレイル」という歩き旅のプランに参加して、八戸から歩いて南下して来たそうです。野宿もしたとか。たくましいです。

その女性とオジサンとで記念撮影。ニュージーランドを3,000km歩いて縦断したとか・・・。凄過ぎます。AM5:00 彼女とオーナーに見送られて、本日の目的地である宮城県南三陸町を目指して出発です。

震災遺構大川小学校。今まで見て来た学校では犠牲者がいませんでしたが、ここでは児童74名と教職員10名が犠牲となっています。遺族の方にとっては辛い場所となりますが、史実を風化させない為に遺構として存続して欲しい存在です。

校舎と体育館とを結ぶ連絡通路の柱は、津波でなぎ倒されていました。もの凄い破壊力です。

教室も津波で破壊されていました。

時間が早かった為、伝承館の中には入れませんでしたが、外から震災前と震災後の写真を見ることが出来ました。酷すぎる光景です。

東日本大震災大津波死者供養之碑。大川地区では418名の方が津波の犠牲になったとのことです。しばし合掌しました。

北上川にかかる新北上大橋を渡ります。この川の水が堤防を超えてきた訳ですから、大変なことです。

旧北上地区復興モニュメント。14の集落が津波によって壊滅的な被害を受け、多くの方が犠牲になったとのことです。右側の犠牲者名簿に向かってしばし合掌しました

「津波浸水深ここまで▲13.8m」とあります。想像を超える高さです。

PM0:00、28km歩いた所の「ちょこっと」で昼食休憩です。ランチAの「ヤンニョムチキン」を注文しました。ピリ辛のチキンが美味しくて、ご飯をおかわりさせていただきました。


お店の看板もノボリもノレンも無く、やっているのかなぁ?と思って行ってみたらやっていました。もともとオーナーの自宅があった場所で、震災の際の津波で2階まで呑み込れたそうです。逃げた山の上で野宿をして大変寒かったと申しておりました。

震災遺構ブライダルパレス高野会館。民間の震災遺構ですが、行政が関わるべきだと思います。青い表示がある4階の床レベルまで津波が来たそうですが、屋上に避難した327名の尊い命が救われたとのことです。

旧南三陸町防災対策庁舎が見えて来ました。東日本大震災を象徴する建物だと思います。

ひしゃげた鉄骨が津波の破壊力を物語っています。庁舎内にいた職員、近隣住民が屋上に避難しましたが、屋上まで達した津波に襲われ43名の方が犠牲になったとのことです。最後まで防災無線で避難を呼びかけていた女性職員の声が忘れられません。しばし合掌しました。

今日は宮城県本吉郡南三陸町までやって来ました。PM3:45 本日の宿泊先である「民宿下道荘」に無事到着しました。

部屋は綺麗な和室の8畳間でした。Google mapに高評価とありましたが、部屋に冷蔵庫無し、共用の冷蔵庫も無し、共用の電子レンジ無し、洗濯設備無し、バスタオルもありませんでした。素泊りの者に対して優しくありませんでした。

明日は宮城県気仙沼市まで行きます。


【本日の歩行ルート】


【本日の歩行距離】
 ・38.1 km

【71日目迄の総歩行距離】

 ・2,597.2 km  (1日平均(実働)∶38.7km)


【本日の支出】 

 ・麦茶✕2 ¥480

 ・昼食 ヤンニョムチキン  ¥900

 ・夕食、朝食 ¥1,847

 ・民宿下道荘 ¥5,700

 ・合計 ¥8,727


【71日目迄の総支出】

 ・¥579,324 (1日平均∶¥8,159)


【現在自分がいるのは東北地方のこのあたり】