それは今から69年前の今日起こりました



1954年(昭和29年)3月1日、アメリカがマーシャル諸島にあるビキニ環礁で水爆実験を行い、強い放射能を帯びたサンゴ片の「死の灰」が降り注ぎ、公海上で操業中だった静岡県焼津のマグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被爆してしまったという事件でした。



ジュラ紀から白亜紀にかけて生息していた生物が、ビキニ環礁の水爆実験で飛散した放射能を浴びて変貌したという設定のものが、同じ1954年11月に公開された東宝映画の「ゴジラ」でした。当初は「水爆大怪獣」の異名で呼ばれていました。



以前、江東区の夢の島にある「都立第五福竜丸展示館」に一度行ったことがありましたが、事件が起こったのは3月1日だったことを思い出し、ウォーキングを兼ねて再び出掛けてみたのでありました。


【2023年(令和5年)3月1日(水)】

浦安から直接東京へ渡れる橋は舞浜大橋と葛西橋の二つしかありません。舞浜大橋へのアプローチは非常にわかりづらい所にあります。首都高湾岸線の舞浜入口の脇の細い道を進みます。


国道357号線の旧江戸川にかかる舞浜大橋で東京の江戸川区に渡ります。


続いて荒川にかかる荒川河口橋を渡り江東区に入ります。


ちょっと寄り道して若洲海浜公園に寄り、その足で東京ゲートブリッジを久しぶりに渡ってみたいと思って来ました。手前の昇降施設で上まで上がり、向こう側の昇降施設まで歩けます。対岸に降りることは出来ません。


ところが開館時間は10:00でした。下調べをしないで来るとこうなります。まだ開館までは1時間あるのであきらめることにします。


恐竜橋を後にします。渡りたかった・・・。


帰り道は若洲海浜公園内の海沿いのサイクリングロードを北上。


遠くから見た際、展望台の手前に人が立っているのかと思ったら巨大な錨のオブジェでした。


若洲橋を渡り、今度は新木場緑道公園へ。東京ヘリポートの見学広場が2箇所あります。こちらは東京消防庁の機体の紹介パネル。


もう片方の見学広場のベンチは操縦席の形でした。


眼の前で飛び立って行く警視庁のヘリ。浦安にもヘリポートがありますが、そこは遊覧飛行が主で、ここは行政関係と報道関係が主といった感じでした。


ヘリポートの隣には東京メトロ有楽町線の検車区が。奥の建物は在職時に営業をしていて失注した物件だったことを思い出し、イヤな気分に。


回り道をしましたが、4時間かけて夢の島公園に無事到着。ここは昔、東京のゴミの埋め立て場所だった所なり。


展示館に着くと沢山の高校生の姿が。過去の悲劇を勉強しに来たものと思われ、良い取り組みだと思います。


「都立第五福竜丸展示館」に入ります。入館料は無料です。


館の中に入っていきなり現れる船尾部分。木造船ですがその大きさに圧倒されます。


放射性降下物である「死の灰」の現物。以前来た時は未だ微量な放射能が検知されるとありましたが、現在はその表示はありませんでした。


当時の新聞記事。船員が帰港後、死の灰を付けたまま町に遊びに行ってしまったとあります。


「死の灰」が皮膚に付着し、放射線(ベータ線)による火傷が酷かったらしい。


船首部分。当時は木造船であっても遠くの海へ魚を求めて行っていたそうです。


ゴミの埋め立て場所だった夢の島に捨てられていた時の姿。それを知った人々が保存しようと声をあげ、現在に至るそうです。


核関連の書物を展示している所にゴジラのペーパークラフトが飾ってありました。


広島や長崎の原爆資料館同様、核の恐ろしさを学ぶには良い施設だと思います。外国人の夫婦がとても熱心に資料を見ている姿が印象的でした。70年近く経った現在においてもロシアや北朝鮮の様に核をちらつかせる現実があることを悲しく思うと共に、人間は本当に愚かな生き物であると感じます。


歳のせいで先週末に行った歩くスキーの筋肉疲労が未だ癒えておりません。歩いた距離は30kmほどでしたが、なんだか疲れてしまいました。

【本日の歩行データ】