中学1年の時に北海道ワイド周遊券を買って友達と二人で出掛けた道東旅行の二日目。前の晩は大学生のカニ族で満杯の帯広ユースホステルに宿泊し、この日はスリーピングシーツを片付けてから朝食をとり、ヘルパーさん達の盛大な見送りを受けて然別(しかりべつ)湖へ向けて出発したのでありました。



【1975年(昭和50年)8月4日(月)】


まずは帯広から士幌線を北上して糠平まで行くことに。帯広7:58発の糠平行723D列車に乗り込みます。時刻表の列車番号にDが付いていれば気動車(ディーゼルカー)、Mが付いていれば電車、何も付いていなければ機関車が牽引する客車となります。よって723Dは気動車でした。


ここで一緒に行ったT君について。鉄道ファンであった彼は破天荒?というか型破りな人で、行動が大胆でいつも見ていてハラハラする人でした。

そんな彼の型破りさがこの場で炸裂!。列車が駅に停まる度に駅の切符売場にかけ込み、入場券を二人分買って来て再び列車に飛び乗るという荒業をみせます。帯広を出発後車掌さんと何か話しをしていましたが、この為の協力を要請していたのだと後で気が付きました。

そして8:05最初の木野駅に到着。彼は切符売場へダッシュ!自分はハラハラしながらただ見守るだけ。やがて彼が大急ぎで戻って来て列車に飛び乗りました。

帯広〜糠平間の11駅の内7駅が無人駅で、有人駅の音更(おとふけ)、士幌、上士幌で彼はこの荒業を繰り返し、終着の糠平を含めて5枚の入場券をゲット。
自分では絶対真似出来ない事をする凄い奴だと改めて思います。

糠平駅から然別湖迄は北海道拓殖バスに乗って砂利道で揺られながら移動。幌鹿峠を越えて11時前に然別湖に到着。湖畔で記念撮影をしました。

型破りなT君。

そして自分。道内とはいえ13歳の子供二人だけの旅行に、親はよく行かせてくれたものだとしみじみ思います。

帰りも同じルートで糠平駅へ戻り、12:04糠平発帯広行726D列車に乗り13:23帯広駅に到着。昼食で何を食べたかは覚えていませんが、多分駅で立ち食いソバを食べたと思います。

午後は前日急行列車で通過してしまった広尾線の愛国駅に行くことにします。帯広15:55発広尾行の827D列車に乗り、16:11愛国に到着。

「愛の国から幸福へ」。縁起切符の火付け役となった愛国駅から幸福駅行の乗車券を購入しました。料金は70円。広尾線は1987年に廃止されてしまいましたが、今でも旧幸福駅で¥220で売っています。右側のは平成22年に家族旅行で訪れた際に購入したものです。

帰りは愛国16:59発帯広行の828D列車に乗り17:15帯広に到着。当日の宿泊先は帯広市内にある友達のお父さんが務める会社の宿舎の様な所で、帯広駅から歩いてそこへ向かいました。

ところが訪ねた所にそれらしきものが見つからず、いくら捜しても見つからずで友達と二人で困り果てました。連絡の取りようも無く、仕方がないので前日泊まった帯広ユースホステルに救いを求めに行くことにしました。

観光シーズン真盛りということで、帯広ユースホステルは前日同様沢山の大学生でごった返していましたが、ヘルパーさんに事情を話してお願いしたところ、奇跡的に泊めてもらえることになりました。

食後のミーティングでは例によって「♪知〜らな〜い〜ま〜ぁ〜ち〜を〜」と「遠くへ行きたい」の暗い感じの合唱で始まり、その後も北海道のご当地ソングを皆んなで唄って旅の二日目を終えたのでありました。


【2日目の移動ルート】

つづく