6月は写真がほとんど無くて困ってます。この写真も5月かもしれん・・・C11は徳島で5~6両撮ってますが、その中で唯一の戦時型です。どこがと言われれば箱形のドームしか見当たりませんが。稼働率が低かったのか、あんまり写って無くて1968年7月に多度津へ廃車回送?された写真が残ってます。
※ネガフォルダーの記載がエエ加減で撮影年が1967年か1968年かはっきりしませんが、前後の写真を見ると1967年はまだハーフで撮ってた様なんで、たぶん1968年だろと思います。
この時期は毎年貨物関連の特集があります。更に今年は鉄ピクまで年寄り目当ての特集組んで、各誌内容も吟味しないまま買い漁ってしまいました。結果から言うと、鉄ピクとDJ誌以外は要らんなあ。DJは特集はどうでもよくて、本四備讃・予讃線の貨物ダイヤだけのために買ったんです。Jトレ誌の付録は去年まで重宝してましたが、首都圏だけなんで今年は役立たず。RM誌の付録にいたっては貨物時刻表以上の情報は載って無くて全く無意味でした。
しかし、徳島の本屋では鉄関係の扱いが少なく、上の写真の半分はネットで取り寄せました。こう言うのも地方の壁なんやなぁ。
田植えが終わった田圃を撮りたいと、前回那賀川鉄橋に行った帰りに見た勝占付近に行くことにしました。
ここらなら自転車で来るんですが、出がけに前輪の空気が抜けてて虫ゴムか最悪ならパンクか・・・諦めて汽車で地蔵橋に行き線路沿いに勝浦川鉄橋の方に歩いて来ました。
上の写真の後追い、地蔵橋方です。以前、地蔵橋に来たときから気になってた建物。色や形から普通のマンションやなさそうやし、ラブホにしてはデカすぎるしと思っていたら病院でした。
25分歩いて多々羅川の所に来ました。例の病院がなければ眉山も見えるはず。
多分ほぼ同じ方角。地蔵橋を出たハチロク牽引の521レが勝浦川鉄橋目指してダッシュしてるところです。
この車両が残念ですが良いところです。
多々羅川自体は小川と言ったカンジ。コンクリートの護岸も草が茂って隠してくれてます。
多々羅川鉄橋手前にある、その名も多々羅川踏切。久しぶりに趣のある踏切に出会った気がします。
ここで4548Dに7次車登場。左奥が勝浦川鉄橋。
二両でもワンマンなんで後部は客扱いせんヤツですよ。
なんとか水鏡か。
ちょうど良い時期に来たと思います。
勝浦川鉄橋方向を遠望。緑が溢れて、これで椰子の木でも生えてたら東南アジアみたいなカンジです。グッドモーニング・ベトナムのロケ地はタイで、地獄の黙示録はフィリピンだそうですよ。
この踏切が気に入って戻って来ました。なぜか曲がった道が雰囲気を盛り上げますね。
季節はだいぶ違いますが、これもほぼ同じ場所です。列車は穴吹行き425レの回送。C11に7両はキツそうですが、徳島本線は平坦やと言うことでしょう。
多々羅川を過ぎた所から下り列車を。一つ先の区画には土が入れられて田圃が潰されてました。
そもそも、この勝占は地元鉄には有名な場所で、ごっさん様のブログでも見たことあるし、御大の支部長は何度か趣味誌に投稿されてました。
だいぶ陽射しが戻ってきました。写真写りが俄然良くなります。
この辺は大昔に島だったんだろうと思わせる小山が散在してます。
田植え後の田圃は今回が一番良かった。
見通しの良い築堤が名物だったんですが、だいぶ草が茂って車両が隠れる。
季節を変えてまた来てみたいところです。
自転車に乗った若人の集団が築堤に向かって行きます。あの先には向こう側に抜けるトンネルがあるんです。
風が強くなってきて水鏡せず。
ここまで離れると右手遠方に眉山が見えてきます。
逆光になってきました。
小生としてはこの日のベストショット。
さっき若人たちが抜けていったトンネルです。
昔からあったんですよ。
この先もずっと田圃であって欲しいですが、徳島駅前後の高架化が実現すると確かこの辺に車両基地が移転するんやなかったかなぁ。
昔は勝手踏切があったようですが今は使われてなそうです。
この次は勝浦川の土手まで行って、築堤を上ってくる列車を撮りたい。
日中は40・47が来んようになってから1000形列車が貴重です。
牛島でいっぱい居たアカミミガメがここにも居ました。けっこうサギが飛んでましたが亀は食わんのかなぁ。鳴門のコウノトリはスッポン食ってる写真が出てましたよ。
そろそろ引き上げようかと多々羅川の所に戻って来ました。
箱庭的な良い風景。
散歩中の地元の方から、これからは「長いん」が出るけん気ぃつけな!と言われました。勝浦川鉄橋手前の竹藪は多いそうです。茂みに入るときは長靴の方がエエなあ。
地蔵橋駅まで戻って引き上げました。