マスコミでは最近、北斗星やトワイライト、ここ数日は北陸新幹線で持ちきりですが小生にとって最大の関心事はもちろん上野東京ラインの開業ですよ。なにせ毎日の通勤がかなり楽になると期待してます。
いや、ほんとは東海道新幹線と併走する常磐線電車をここ冒頭の写真にと暫く待っていたんですが、そう上手いことは行きませんで・・・
土日じゃわからんので明朝の出勤時が楽しみです。
前回からの続きで浜松町駅から。
今は高層ビルが林立してますがウィキで見ると江戸時代はあんまり良い場所じゃなかったようです。
浜松町と言えばモノレール。この連絡通路は今でも使われてますが段差がいっぱいあって、いかにもやっつけ工事という感じがします。大きな荷物を持った人も多いのにこの不便さは未だに解消されませんね。
新橋辺りまで延伸する計画もあったそうですが。今は大汐線活用案がやっと陽の目を見つつあるのでそっちに期待したいところですが東京五輪には間に合わないらしいです。何とかならんもんか思います。
モノレールの高架を潜って直ぐに古めかしいビルが。
浜松町駅の南端。煙草が吸いたくて何度かこの出口を利用したことがあります。出た所に喫煙場所があるわけではないんですが・・・
もうほとんど高架ではなくなってます。上を横切ってるのは貿易センタービルに入るモノレール、京浜東北線は上野方向に向かう北行です。
またまた昭和感溢れる建物が。木造モルタルの見本の様です。一部はアルミサッシに交換されていますが、どの窓にもちゃんと雨戸が付いてますね。玄関脇にある電気のメーターも忘れてはならない必須アイテム。
浜松町駅を過ぎて最初の向こう側に抜けるトンネルです。もう高架とは言えないくらい低くなってるのでトンネルがかなり掘り下げられています。
鉱山の坑道と言った感じ。
この辺で「港町」と言われてもピンと来ませんが昔はここら辺りが海岸線だったと言うことでしょう。連絡先が施設指令となっていますが、国鉄時代から指令と言うのが続いてるんですね。通信・電力・営業と言った各指令がいました。
このトンネルの所で線路沿いに進めなくなり90度曲がって迂回。
船宿があるんでこの先に川があるようです。
ここだけはお正月感満点です。
この路地を行けば船乗り場があるんでしょう。
線路方向を振り返るとこんな感じ。モノレールはえらく高いところを通っています。
やっぱり川がありました。古川という川のようです。徳島にもあるでよ。上を首都高に覆われすごい圧迫感がありますが。
釣り船よりも屋形船が多い。
橋の名前は金杉橋。
横の公園にあった案内図。橋を通っているのは国道15号、いわゆる第一京浜でした。うーむ、暫く線路沿いには出られそうもありません。
線路沿いのごっつい高層マンション。クレストというのは鶏冠のことでてっぺんの意味があるそうです。プライムも極上とか最上と言う意味らしいのでここの凄さが強調されています。
なるほど、
なんぼするんでしょうか。
その先に向こうへ抜けるトンネル。線路が完全に地平に降りてるので下を潜る感じです。
このホテルも線路際で眺め良さそうです。ただ駅からは遠いですが。
その先にある三角形の建物は電車からもよく見えますね。線路の向こう側は確か大手建設会社のビル。
狭い土地の有効利用。建物というより広告塔みたいな感じです。
この石鹸会社は昔からありますね。ウィキによるとクレンザーで有名なミヨシも同系の会社で、ミツワのブランドも引き継いでるそうです。ちなみに牛乳ブランドの会社も健在のようです。
郊外の霊園ではなく都心の寺の境内にお墓があるというのは自慢出来るでしょう。
梅か桃か、早すぎますね。
直ぐ先にあった新浜町ガード。人と自転車だけですね。
で、更に進むと何とも渋い建物が。
完全木造。注意したいのは横の街路灯や交通標識の裏が茶色に塗られています。この気配りも凄いと思います。
この辺も戦災を受けたと思うので戦後直ぐに建てられたんでしょうか。小生の実家も戦後直ぐに建てた家でしたが、当時は資材不足だそうで歪みや隙間がいっぱいありました。この家は建て方も手入れも良いんでしょうね。
都心の住宅に必須なのが物干し台。田舎と違って庭に干すスペースが取れないので屋根上の有効活用ですね。この状況では陽当たりは望めませんから風通しだけで干してるんでしょう。
いやあ和みますね。右端はたぶん棕櫚、紫陽花もあるようです。中途半端な庭があるよりこっちの方がずっと良いと思います。
ずいぶん撮ってましたが路地を抜けて振り返るとモノレールも見える所でした。
後で地図を見るとこのガードの先の所に芝浦運河があるようです。
と言うことは、旧海岸通りはこの先で90度曲がることになるんでしょう。
その旧海岸通りを渡った所から抜けてきた路地を振り返ります。田町駅はまだかいなぁ、と言うところで続きます。