先週、高崎線の駅に「HENRO」というJRグループのポスターが貼られているのを朝の通勤電車から見て居ました。で、ネタにしようと昨日出勤だったのでカメラ持って行って撮ろうと思ったら撤去済み、、、トホホでした。
現首相がお遍路さんしてて前回は53番で終わったそうで、次は54番「延命寺」だそうです。なんか出来すぎてますねぇ。
写真↑は身内のブログから転載。
前回、眉山の写真載せましたが「鉄道風景」を名乗る以上やはり鉄道絡みも行きます。
その前に
眉山の上空には飛行機雲が何本も掛かるそうですが、上のは3年前の8月撮影。眉山は写ってませんが飛行機雲は3本くらい確認出来ます。徳島上空は東京と福岡等を結ぶ航路の要衝になっているんだと思います。
飛行機ついでにこちらは正面建物の煙突の上にヘリが見えるでしょうか。1967(昭和42)年10月の撮影、この時期徳島で見られるヘリと言えば松茂・救難のS55か和田島のS58(HSS-1)の何れかだろうと思います。ちなみに眉山に被っている建物が何か分かる方はかなりの年配者ですね。この建物、今はありませんから。
さて、徳島・眉山・鉄道と言えばここ吉野川鉄橋が王道でしょう。車両とトラス橋と眉山を絡めた写真は未だに撮れていません。
もう何度も載せてる写真ですが今一度。1969(昭和44)年5月4日撮影、吉野川手前の鮎喰川の鉄橋を渡っているところです。
逆に列車内から撮った写真です。上のは鮎喰川と吉野川に挟まれた放水路を渡っているところ。右脇の潜水橋は通称かっぱ橋。
いよいよ吉野川鉄橋、8月ですが朝が早すぎてスッキリ晴れていません。
この辺の写真も以前に載せてるかもしれません。
これで青空だったらなぁ~。
吉成駅の跨線橋から。眉山と列車は写ってますが鉄橋が無い。
吉成駅と鉄橋の中間くらい。眉山が入っていません。線路の向こう側から撮ると眉山も入りますが車両が逆光で潰れてしまいます。
更に進んで池谷駅跨線橋から。霞んでいますが眉山です。
この国鉄時代の生き残りも数を減らしてるそうで、今度帰省したらまた撮らないと。
池谷駅の複雑な跨線橋を撮った写真に眉山が写っていました。このくらいの距離から何もない平野を通して見ると海の上から見た姿に似ています。
昔の写真を。佐古駅徳島方です、今は高架になってる区間で1968(昭和43)11月。
佐古駅を発車して徳島線と別れた直後の高徳線上り貨物。この区間も今は高架。
1968年8月、こちらは佐古駅を徳島に向けて発車する高徳線下り貨物。手前は田宮川から佐古駅裏まで引き込まれていた貯木池。C58は110号機でこの頃未だ集煙装置が付いていませんでした。
小生は昔からあまり縦位置で撮るのは好きではないんですが、これは川面に眉山を写し込もうという魂胆が見え見えな一枚です。C11が牽く穴吹始発の列車が徳島に向けて発車した所です。正面が新町川、右側の上の写真の貯木池がありました。
今度は眉山を挟んで反対側になる園瀬川鉄橋を渡っている所。徳島駅や徳島公園から見る眉山を表とするとここら辺から見る眉山はさしずめ裏眉山。
その裏眉山はアップにするとこの当時ドライブウェー造成の跡が禿げていて痛々しい感じでした。
最後は小生が一番見慣れている中洲方向から見た写真です。ぶれていますが鉄橋上で撮るつもりがトラックを避けてこうなりました。最初から向こう側で撮っておけば良かったんですがチャレンジが裏目に出ました。
こういう風に写るはずだったんです。プレハブ小屋の右にチラッと写っている建物は解体前の旧・水上警察署です。
肝心のハチロクはほとんど写っていませんが眉山のシルエットがキレイなのでトリにしました。この写真ももう3回目くらいの登場。