「おおかみこどもの雨と雪」


何ヶ月ぶりに昨日テレビをつけたら
たまたまやってたので
初めて全部みました。

過去にも見かけたのに、途中でやめた気もする。
昨日も途中で眠くてたまらなかったけど
「見て!!」って何かが私に言ってきてたから。

ここからはあらすじ
(私の主観バージョン)

大学生の頃、お母さんが恋に落ちた人は
狼男だった。
そこから2人の“雨”と“雪”と言う
男女の子供を授かったが
お父さんは不慮の事故で亡くなってしまう。

狼になってしまう兄弟を
人として育てようか狼として育てようか、、、
お母さんは狼の育て方が全くわからないけど、
「狼の育て方」と言う本を読んだりしながら
一生懸命勉強して、
狼人間である子ども達を世間から守りながら
日々必死に生活に奔走している。

子ども達が大きくなるに連れて都会ぐらしでは
世間からどんどん外れていくのと
子ども達が伸び伸びとできないのとで
里山の人の少ない自然の多いところに
廃墟同然の家を借りて3人で引っ越す。

まずは家の修繕と掃除から。

山の暮らしもわからないけど、
そこでも一生懸命勉強して荒地を畑にして生きる。
勉強したって荒地はすぐには畑にはならず、
失敗を何度も繰り返し
仕事も無いところで追い込まれていくけど
毎日ニコニコしながら必死に生きてたら
そのうちに山の人たちが
少しずつ気にかけてくれるようになって
人がたくさん集まって助けてくれるようになって、生活は安定していく。
主人公は周りの人にも謙虚で
いつでもニコニコしている。
子供達はそんな中ですくすくと育ち、

お姉ちゃんは「人間として学校に行きたい」と言って、狼の姿を隠しながら
自分の居場所を自分で探し続けて
集団生活の中で壁にぶつかりながらも
成長していく。

一方弟は、小さい頃はとても甘えん坊で
活発すぎるお姉ちゃんにはついていけなくて
いつもお母さんにべったりだった。
学校に行くも馴染めず、
学校には行きたくないと主張。
徐々に野生に目覚めて
山に自分の師匠のキツネを見つけて
学校へは行かない代わりに
ひっそりとそこに通い続けて
狼として山で生きる方の道に自ら
どんどん進んでいく。

お母さんは、いつでも
子ども達と真剣に向き合ってるけど、
「自分の思い通りに育てよう」
と言うのは無くて、
どこまでも自分の子供達を信じ続けてる。


そのうち、上の子は学校の寮に入って、
下の子は本格的に狼になって
家を出て山で暮らすために家を出る。

お母さんはそれをとても誇らしく思って
「しあわせに生きてね」って最後は微笑む。


お母さんは強くて淡々としてそうやけど、
下の子を本格的に手離すときに
「まだあなたに何もしてあげてない、、まだ何も、、」って泣いた。

必死で育ててたのにまだそう心残りに思う
母親の気持ちも痛いほどわかるけど、
その気持ちを持ったまま
子どもを信じて手放したところが
今の私の気持ちがそっくりそのままで、
とても自分を誇らしく思えた^ - ^


「もう大人だよ
あの子は自分の世界を見つけたんだ」
下の子を追いかけて山を駆けずり回り
崖から落ちてしまって力尽きたお母さんが
夢の中でみた、子どもたちの父である
亡くなった彼の言葉も印象的だった。

自分が必死に生きてるうちに
子ども達は勝手に育つ。

ほったらかしにしてたって
構いまくったって
子ども達は育つ。




私が2歳差の娘達の名前を
全く別のものにしたのは
各々が自分の個性に生きて欲しかったから。

私は生きるサポートを必死にしてきたし、
この環境でできる“お母さん”を
一生懸命やってきた。 

お母さんを知らない私が
完璧にやり切れるわけもなく、
ただただ必死に生きて
たくさんやり残しはあったけど、

今は家族が新しい形に向かっているのが
とてもうれしい。


遺伝的に、私は
縛り合う粘着系の家庭は築けなかったけど
いつまでも家族であることには変わりなく
協力しあって、時に助け合う
自立した集まりに満足している。

もちろん、毎日定時に
「何時に帰るよー」って連絡があって
晩御飯はみんなで食べる!!
みたいなのは、幼い頃から憧れたけど、
私には手に入らなかったものなので
もうそれは仕方ない。



この場所から私はどこへ行くのかな。



人を大切にしながら
私も私の目指す場所へ向かうよ^ - ^






ではではね!
読んでくれてありがとう😊








滝は体験で、

思い癖の深掘りは読書

  

行動で知識を体験に変えることは

わかりやすく自分を変える!!



“滝に行く”と決めてから

私の中はどんどんとエネルギーが変わって来てて


どんどんと周りにいる人が変わって


その人達からかけられる言葉も

目に入る情報も

今までとは目に見えて変わって来てた。



・自分に重なること

・素でいること

を、選ぶには

元から大事にしてた

・他人優先

・人に合わせるだけ

をやめることで


やめた瞬間には周りが

ドリフ全員集合のセットチェンジみたいに

どんどん変わっていくのがわかる。


今回のは、思い方➕在り方(自分の中心)を

いじったから、かなり劇的だった。


!!!

ぷよぷよに似てる!!

塊が取れたら周りがスルスル移動してきて

景色がどんどん変わる。



コツコツ積み上げるだけじゃ無くて

何かを壊したり

要らないものを捨てたり

手放すことでクリアするゲームもある!ってこと


昭和世代の私は

人生を山登りや正しいレールのイメージが強いけれど、確かにそれだけじゃ無いわよね!


マリオみたいに一方向にゴールがあるタイプと

スプラトゥーンみたいに画面全部がゴールである

この違いみたいなの。伝わるか???🤭



いっぱい遊ぶことは学ぶこと。
娘が2人いるけど
姉は体験型、妹はコツコツ型
どちらかと言うとであって二極では無い
人はそれぞれ違うゲームをしてるんだな!

だから私は娘たちの成長を見るのが楽しい
手をかけ、気をかけ育てるところが
随分終わってしばしご褒美タイム^ - ^

そりゃ至らんところは山ほどあるけど笑笑
一旦ここまでやり遂げて
今は眺めているところ🤭

あとは、私がこの先も楽しく生きることで
悩んだり挑戦したりを
今までの“お母さん”では無く
“自分で責任を持って生きること”を見せたいと思う

お母さんのままの惰性で(惰性って悪い言葉?)
“いつでも安心の場所”の自分も
もちろん残すよ^ - ^

娘らが私をとても面白がって、
配信なんかにもちょっと出演させれくれるのが
楽しいし、

そうそう!!
今朝は、
来年の夏祭りのイベント企画
「たえちゃん来て欲しい」って言われた。
を、夫から聞いた🫢!!

やりたかったことにあれこれ
飛び込んできたけど、
あちらから声がかかるのは
名前が出るだけでも嬉しいし、

昨日は兄の周りが「最近たえちゃんどうしてる?」
と、よく私の名前が上がるらしい✨と兄から言われた。

何って無いけど、
そうやって「あ!そういえば、、」って
私が誰かの何かに浮かぶことって
ありがたいって思うのよな。



私のエネルギーの余波の大きさ
出たんかな??笑笑





同じに見える毎日でも、
「今日は何のゲームをしようかな?」
って
毎日違うゲームだったりするの楽しい😆









いつも読んでくれてありがとう!📻
ほな、またね!














おはようございます。


本日もみなさまの今日が

安全でたくさん笑える1日でありますように🙏




チーン なむなむ…🔔



^ - ^🤚おはようございます



11/1 生まれて初めての滝行に行ってきました。


まだ暑さが残る頃に

知人に繋いでもらえて日程決定!!



111の素敵な日に決まりました。



なぜかとても楽しみで、

と言うのも

厳しいことを受け入れることが

辛いけど辛いだけでは無く

視点が増えて自分が大きくなることを

体が知ってるから^ - ^


逃げるのか、やるのかなら

何とか逃げないで済む方にいく“変態”なのと

滝自体には反発なく馴染める気がしたから🤭

もちろん、大自然と共に育ったから

自然をなめてはいない。


しかし意外にも

「何でもやってみよう」ってタイプの

お友達やお客様からの反応は

「…それ、いかなあかんの?💧」と


少しの抵抗が感じられたのはちょっと意外で、

何度か後悔したのも事実😅



しかも、ここのところ

どんどん寒い日が増えていて


50年近く生きてるのに

11月が寒いこと🥶すっかり忘れてた笑笑

わたしって賢いのかアホなのか

たまに自分の出す答えが信じられないことよく起こる笑笑



滝行と言えば



少なくともこんなイメージかもしれないけど

今回の滝は


かわいい一本滝💕でした。














滝行は、滝谷不動尊へ。

その前には美具久留御魂神社へも

お参りさせていただきましたが、

どこもかしこも

わたしの好きなものだらけの場所でした。


湿った緑、苔、木々、木漏れ日、風、草

落ち葉、土、

不動尊では丁度護摩焚きが行われていて

太鼓の響きと御祈願の声も聞こえて

お詣りの方が鳴らす大きな鐘も響いています。

蝋燭や香の香り、水と草の香り

どこに行っても体がなじみます。



滝に連れて行ってくださった方が

神様からメッセージを伝えるお役目の方で

一緒に散策する間にお言葉が降りて来たら

都度聞かせてもらえました。



最近の私は、朝からの出来事すら

お昼頃にはもう思い出せないようになって

たくさんお言葉いただいたのに忘れちゃった😑


しかし、

言葉に縛られてしまうことは、

受け取る枠が狭まるから

聞き流しでよかったようにも思っています。


言葉を感じることは2種類あって

本を読むか体験するかの違いに似ていると思っています。


本を読むように捉える方では

一字一句に着目して、

情報として取り込んでる感じ。

長文読解みたいに

接続詞や主語や文法に忠実に。


そして、

体験として捉える方は

流れて行く言葉の中で心が動いて

引っかかったところだけが明確に体に残る。


うーんと、、山登りの登り方の本を読むのと

実際登るのとでは

体に入るものが違う。という感じです。


私の文章が、

とても読みにくいのは

前者で読まれてる方だと思います。


これがお話を聞くように聞き流せないのは

私の声を知らないからだと思っていて

ラジオ形式のものや対談など

私が話している声を

今後はYouTubeやポッドキャストなどで

公開していこうと考えています♪



話が逸れました!ごめんなさい🙏😅

私自体も生き方が体験型なので

常に今を捕まえているから

心に残らない出来事が記憶から

どんどん消えて行くのかもしれないですね。

怒ってても、怒ってることを継続できない🤭

ニワトリなん??🐓



私に最初にその方が言われたことは、

大自然と私がとても合っていて

スッと溶け込んでしまっていること。


「何かご自分でお言葉が受け取れてますよね?」

と言われて

丁度小さな祠で

「また来ていい?」と聞くと同時に

「またおいで」を感じていたところで

振り返ったらそう言われたので

大変驚きました。


確かに私は神社や森に行くと

たくさんおしゃべりしてしまうので

「…なんかそんな気がする」と思うことに対して

そのまま対話を重ねてるだけだと答えると

「それで大丈夫です。」とのことでした🫶


お言葉でイメージしやすかったのは、

私の中のエネルギーは余波が大きくて

遠くにまで及ぶ力があるのに

自覚がなくてコントロールできていない。

感覚が過敏で

人の“好き嫌い”ではなくて

“合う合わない”に対してとても繊細に感じやすいのに、オープンにガバッと広げすぎて

しんどくなっているから

プロテクターが必要なんだそう。

これは、本人だからこそ

言われてることがよく分かるし

言われたからこそ気付くそれ。


わたしはずっと大きな力を放電し続けて

他と繋がりまくって

でも、大きなエネルギーを

守るコントロールができてないし

エネルギーが大きいのに

勢いはと言うとそんなに無い方らしく

相手から勢いで来られると弱いと言われました。

(これらは和身塾でもいつも言われてて

エネルギーの客観視の一致にびっくり🫢)




伝えてくれるお言葉によって

解き明かされるようで、


イメージでお伝えするのならば


確実に存在はしているのに

認識したことのないカードが

何枚も自分の空間にはあって、


滝に行く前から

“ 初見のカードがある”ということには

すでに気づいてはいて


リトリート当日、

その方から下ろされるお言葉により

そのカードを次々にめくっていく感じでした。

感覚で受け取ってね↑



ランチをして、散策をしながらお言葉をいただいて

少し暖かさのピークが過ぎ冷え込んだきました。


いよいよ滝へ。


禊場へ続く道は、外の空気とは全く違いました。

遠い過去にいるような懐かしい感覚で

白装束に着替えて滝場に着いた時には

子供に戻ったような感覚で、


滝に入る瞬間は冷たさも不安もひっくるめて

「あーそーぼっ!!」でした^ - ^


決して舐めてないですよ!

素直に積極的な自分に驚きました。


体が滝を通してアースして

聖域全てに溶けてしまう感じです。


拒絶や我慢ではなく

“受け入れること”

わたしは辛いことを飲むことに

昔からとても慣れていますが、


滝の中はとてもフレンドリーで

可愛くて

一気に取り込んで馴染ませてくれた

という印象でした。

私によく似てると感じました。


「同調した」「繋がった」と言う感覚です。



この度のリトリートの前からすでに

嫌なものは嫌。無理なものは無理。

自分を大切にする中で

割とフラットに自然に

できるようになってきてた中で、


このリトリートでも

なるべく素直で“素”の自分に乗っかるように

度々確認していました。


わたしは軽く眼瞼下垂があり、

目が開きにくかったので

小中高の間は度々

先輩に呼び出されては

言いがかりをつけられることも多かったし、


可愛げがないと言われたり

性格が悪いような言われようも多く

きつい顔で嫌われやすいから

常に

ちょっと無理をしないといけない状態で

お友達といることが辛かったですし

父親の彼女にも当時はそんな言い方をされたり


全くの“素”でいることが

とても悪いことだと思って

愛想を良くしたり、

きつくみられないようにしたり

目つきの悪さのコンプレックスから

若い頃に整形もしました。

人前ではわざと自分をガバガバに広げて

嫌な印象にならないように

媚びてきたのかもしれません。


不器用だったんだな。と、

やっと分かりました。


私は末っ子でいつも道化役で

明るくて人懐っこいと自覚して来ましたが


ほんとは誰とも関わりたくないし

静かにひとりでしていたい。とも

お言葉で言われて

まだ、現地ではピンと来ていなかったけど


「あるご縁でたまたま一緒に過ごすだけの人なら

まぁーいっか!」って、🤭

滝行当日は“素”の自分に重なって

一日中リトリートしてみると


終わってからが

その自分がすごく懐かしくて愛しくて

びっくり🫢‼️


そう言えば私、クールで静かで素朴で

悪く言えば華のない子で


だからなのか花よりも緑が好きだったり

妖精や精霊が好きだったり


地味な女の子で“なんだか良くない”という

判定を自ら植え付けてしまって

ずっと無理をさせてきたのかも。。。


自分がずっとこの養成ギブスをしていることで

他人に対しても

「何でそんななの???」って

常にジャッジをしたり、時には見下す気持ちも

どこかにあったのかもしれないな。


そう言えば滝に1回目入った時は

呼吸の確保が出来たその後は

感謝ばかりが出てきてね


家ありがとう

犬ありがとう

娘ありがとう

娘ありがとう

旦那ありがとう

祖父、祖母、父、母、友達

今まで会ってくれた人

突然目の前に現れる事柄



自分を支えてくれたエネルギーたちに

感謝ばかりが浮かんできて

今思えば、それごと自分を感謝したような。。



滝から2日経ってみて

“素”であることをまだまだ実感中



嫌なことは嫌

無理なものは無理


これが!、、

ちょっとずつナチュラルにフラットに

出せるようになった^ - ^



いやぁ、自己理解って

ほんっっとに 楽しいですねぇ🥸🤚






インナーチャイルドを

二体丸ごと愛した時くらい

かなりのリニューアルになりました。



外に出て、

綺麗な人や可愛い人だと言われることで

周りからは“それ”を求められてるんかと思って

「綺麗にしてないとダメなんだ」って

どんどん自分と離れてしまって


でも、家でお化粧もせずにご飯を作って

掃除して、犬を撫でている私を

「お化粧してない方が好き」とか

「しゅっとしてるのがすてき」とか

まるッと受け入れてくれる家族がいることは

ほんとにありがたいことです。



まだまだやり残したことが見つかりました。

とことん家族と向き合うこと。


自分を押さえてお世話はしてきましたが

・しっかりと主張することと

・しっかりと愛を注ぐこと

これを同時にやり切ったら


清々しく家族1人残らず自立して

誰にも縛られず、干渉し合わずに

各々が幸せに

自分らしく自分を生きられるような気がしています。




縁あってこの学びを共にしていると言うことは

やり切らないと終わらないのです。



ここで自分が大きく変容して

初老の自分をどう生きるか

初老の暮らしをどう整えるか

になってくると思う



もう今回で終わりだと思っているので

しっかりとやり切るぞ!



あー。逃げなくてよかった!

ってこれまでも真剣にかんじている

私って素晴らしい👍✨



☺️ほな、またねー🤚