AppleTaeあっぷるたえ(о´∀`о) 橿原市 -10ページ目
お散歩してたら、
近所のお寺にこんなの貼ってあった。
人に何かを頼んだり
思いを伝える時には
中途半端に伝えると
気持ち悪い。
手伝って欲しいなら
「ごめんやけど🙏
手伝って欲しいねん。」
ってはっきり言うてー!
「助けようか?」
と相手に言わせるのは
なんかセコイ
反対側で、
はっきり言われてもないのに
勝手に動いてしまう私が居る。
これは、
「利用されてる」なんて後で言うくらいなら
動かないことを選べばいい。
「手伝って」ってことよな?って
相手を迎えに行く必要も無い。
お節介で満足してた自分がいたことも
過去には事実。
「!誰も助けない?!?!私が行かなきゃ!!」
って、ヒーロー🦸♀️になりに行く。
行きたくなくても親戚のこととかなら
なんかついつい【最後の砦】になる癖とか
そんな癖(パターン)もあるんだな。
□頼む方はまっすぐ最後まで言い切る
□受ける方は自分の気持ちを削らない
ちょっと話が逸れるけど、
頼るところが少ない人は、
かっこいい😎んじゃなくて
「どうせ頼っても、、」なんて
人を信用できてないとか、
断られることをビビってるとか
借りを作りたくないとか
なんかその辺あるのかなって思う。
私もこれが発動することある😅
人を頼るのもコミュニケーションで
循環やと思う🔄
借りでは無くて、人間関係の軌跡で
通帳の借方貸方みたいに
バランスが取れてたらいいと思ってる
人は助けるけど、自分から人は頼らない😬
ってしてると
バランスも悪くなるし
循環も同じところばかりで小さくなりそうやし。
なんにせよ、
色んな思惑やトラウマの圧で
コミュニケーションって動いてるんよね。
自分に重なる(じぶん作り)では、
自分を削ることなく
自分の心地よさを環境ごと考えるようにする
自分の意図は、隅まできっちりと口に出して
それが通るか通らないかは
もう相手のターンなので手放す。
手伝って!とは頼むが
無理と言われればそれで完。
手伝って!と言われて
行けるなら行くけど、
その人がもう少し自力でできそうなら
行って助けることに拘らず
自分を削らず関われることに留める。
出し惜しみみたいで昔は嫌やったけど、
今はそんな感じ^ - ^
自分だけファーストって言葉も
実際に日々全て
そうならないようにできてるのかってなると
まだまだ
うっかりやらかしてるところもありそう😅
目に入る物は何かのメッセージ💌
今日も色々繋がって
色々思えて楽しかったな^ - ^
ほなまたね🤚
「お金さえあれば。。。」
そんなに単純なことなんかな。
この3日間
私は福岡からの友人を
全力でアテンドさせてもらった。
あちこちの神社や自然や
故郷の祭りに連れて行って、
私が心からおいしいと思う
命がたくさん詰まったご飯を連日食べて
地元を守る幼馴染を間近で見て
私の心にはまた
何か大切にしたいものが
軸の一つになったと思う。
夫婦では無くなるってことは
孤独とか
仮に新しくパートナーが出来てしまって
また、
嫌われてしまうことへの
そんな初々しい心配とか恐怖とか
働けなくなった時のことを思うと
体のこととか
未知の世界やからこそ
想像だけにしても
世間体とかだけでは無くて
お互いに
色々考えることはある。
お金を旦那さんに
頼らなくてよくなれば、、、
なんては言っても
歳とれば取るほど
勢い任せには動けんもんで
全く家事をしてこなかった男性が
たちまち困ることも容易に想像がつく。
結婚する前には親が居て
自分には若さも体力もたくさんあったけど
ひとりでずっと生きることが
気楽なのと引き換えに
年々不安や孤独感への恐れもある。
文句言いながらでも
「家族があって良かったな。」
ってなことも
思うんじゃ無いか?
とか
「誰と居たって一緒だったんじゃ無いか?」
ってなるんじゃないか?
とか
今更どっちでもいいなら
このまま惰性で過ごすのも
楽な選択肢のひとつになりうる。
ひとりで生きることの何がそんなにいい?
自由??
家族を手放さないことの何がそんなにいい?
安心??
どっちも極端で雑。
🍁
下手でも小さくても自分でひと通りできる。
と言う自立をここまではしてこなかったから
このまま助け合いという名の共依存で
生きていくのが通常。
では何故私が敢えてここで
卒婚を考えることになっているのか?
1人の大人として自分の残りの時間を
自分の判断と自己責任で使命に使いたい
と言う
挑戦したい性分だったり、
私に限っては
母親が居なかったことで
良い妻、良い母を演じる
と言う道をやり切ったこところで
次は何になろうか?
と言った次の課題探しでもあったりする。
わざわざここから出なくても私には
とても安定的で楽な暮らしは保障されている。
ペットの中でも裕福な方。
子育てが済んで余った分のエネルギーを
慣れたルーティンに上乗せするだけで
不自由なく素敵な暮らしができるなんて
イージーモードでありがたいご褒美タイム☕️
なんだけどなぁ。。🥴
ここからはただの贅沢なのかもしれないし…
とは、世間から見た私。
私の生きるテーマが『愛』なもんで、
身をもって感じたいこととは違ってくる。
行かねばならんとこがあり、
やらねばならんことがある。
ような気がしてる。
じゃ無いとするならわざわざ
こんなに変な人生歩む必要は無かったと思ってる
幼い頃から周りの大人の人生に振り回されて
色んなことを考えて
感受性を刺激されまくり、
なんとか子育てを試行錯誤でやり終えて
「はー。ここからイージーモードかぁ🍵」
を、飲み込めない私はやはり
かなりの変態と見た笑笑
まだあと10年は、残された力を
世間に何かのカタチで返したい気持ちがある。
元々、幼少期から
普通の家庭の形には収まって来なくて
結婚生活でそうなるように努めてきたが、
その夢も叶わず。
このままこの箱を守って終わる📦
のか??
とは、何度思っても満たされない気持ちになる。
理想の家庭をこのまま追い求め続けるのも
一つの道ではあるけど、
このメンバーでのその目標へ向かうことは
全く違うパズルのピースを持って
パズルをやり続けるようなものだと思う😑
だからまずはその執着をやめる。
もう充分尽力したから。
一つの巣穴に家族が集まるんじゃなくて
うちはアリの巣みたいな仕上がりになった笑笑
まぁ、うちらしくてアリ^ - ^
依存・束縛ではなくて、
信頼して理解して尊重して応援して
共に喜んで楽しんで笑って喧嘩もして
高め合えるパートナー
人として好きで
互いに
尊敬し合える相手と共に成長したいねん!
↑三木道三になってもた😆゛
まずは、
自分だけでしあわせであれる。
やはり、今のところ
一番集中するところは
何がどうなろうともこれか🤔…
結婚しててもこの形の夫婦はあるから
うちは特に
依存が強かったんだと改めて思う。
私もなんだかんだで
旦那さんに甘えて来てたんだな。
バブバブ👶
🍁
しかし、最近少しずつ
私のこの主張を
夫が聞いてくれている感じがしている。
これまでは
離れられることが単に怖い😱
と言う抵抗感が酷くて
“耳を塞ぐ🙉” “受け入れない🫸”
だった。
夫にも複雑な生い立ちはあって
見捨てられ不安に
異常に反応するのも仕方ない。
しかしながら、それは彼の課題で
私を縛ることでは解決しない。
🍁
始まりは私の自分勝手からだったとしても
お互いの残りの人生を
お互いの心から求めるものに進む。
その時の
足枷になりたく無いし、
足枷だと感じたく無い。
無理に違ってる価値観にこだわらなくてもいい。
あっさり言えば単純にこんな内容だったので
そのまま伝えてみたら、
「じゃあ俺もそろそろ、、、」
ってはじめて何か目線が変わった時があって。
もっとでかいことできるって
昔から根拠なく夫には感じていたので、
「でしょ?!」って嬉しく感じた気がしたんよね。
それと、私は昔から“別れないこと”を
『使命感』にされるのが嫌🤢
歳の離れた末っ子で、
意図無く一家離散のストッパーに
なってしまった経験も関係してるかも。。。
「好きだから一緒に居たいんだ」がいい♡
↑こう言うところはいつまでもお子ちゃま👉👈
「もうっ!!家事ばっかりいらん👶💢
自由が欲しい🗽🗽🗽」
ってなところから始まったから
「なんじゃそりゃ!?」
っていう抵抗に繋がったと思うし、
今となっては自分でもそう思う😅
そして、肚据えて自分の気持ちを
まっすぐに主張できるようになってからの方が
主人に尊敬と感謝ができるようになった!!
ほんとにね。
ずっと繋がらなかったのは
私が正面から向き合うのを早々に辞めてたから。
現在地はそう言ったところで、
このまま夫婦でバブバブやってられないし😅
高い能力を持て余しているのも見てて勿体無い。
私無しではあり得ないと言ってくれる言葉も
やっと素直に受け取れるようになったし
数々の至らんところだらけなのに、
ありがたいお言葉🙏感謝感謝
“お父さん”であることって
そんなの生きてる限りもその先死んでも、
娘たちにとっては
“お父さん”であり続けるし
お母さんもそう。
2人で家庭を守ってたのは
子供達にとって大切だったと思う。
今では状況も全く変わったし
ここからは娘たちを自立させねばならん。
依存されてると言う窮屈な違和感が
思い込みだったと仮定して
どんどん主張をしてみる!
これ、ほんとに怖くて怖くて♾️
お互いが成長した今だからこそやと
つくづく思うし、
“時が満ちる”ってのも少しずつ体感している感じ。
私はまだまだひよっこで、
大人やのに守られて続けてきたことも
つくづく感じる。
やっと自分で外に出て
知らない人とたくさん交流するのが
今はとても新鮮でしあわせで、
気付きも学びもまだまだあるから
自分でもっと失敗もしてみたい^ - ^
残りの人生についても
ひとつひとつ仕分けして考えよう。
ってやっと思えたんだと思う。
なるほどな。これとは逆で
ずっと外で戦ってきたからこそ
子育てが終わったら
男性はみんな嫁に帰りたがるのか🤭納得‼️
じゃあ選手交代で
嫁を外に出して養って貰うのも良い。
男性は、家事の修行🧘♂️
家族の健康、清潔、幸せ、快適を守ること。
ほんとに好きな人同士なら
とても幸せなB面再生▶️になると思う^ - ^
さて??
個人戦を選ぶ私はと言うと
もっと自分の行動エリアを広げることになる。
その中でも私は、
どんな朝を過ごして
どんなお仕事にこの体を使って
どんな食卓を楽しんで
どんな気持ちで眠りにつきたいかな??
好きな灯り、好きな音、好きな風
どんな言葉を人にかける?
人に見せるためではなく
じぶんに用意してあげる
丁寧な時間の積み重ね
なるべくひとりの世界を充実させたい
そして、
約束とかで縛り付け合うわけでもなく
「美味しいお野菜をいただいたから
ちょいと食べに来なはれ!」なんて言って
ラフに声を掛け合える
そんな仲間と過ごす穏やかなひとときを
ふわりと過ごす。
そんな未来も素敵だと想像している。
上質じゃ無くても
本質を好み
自分を大切に生きる。
ここを豊かな国にするのも
自分次第なんじゃないかな??
長くなったのにここまで読んでくれてたら
ほんとにありがとう!!
いいことあるよ🤭
秋も楽しみましょうね🍂^ - ^
自分に重なろう!!
ほなまたね〜
どこにも非の打ちどころのない
完璧なお肌は、
それはそれは美しいに決まっているけれど、
何年も生きていると
治らない傷痕もあちこちにあって、
最近、その傷跡の数々が
愛しくてたまらないのです。
特に、胸元の水ぼうそうの跡が
なぜか大好きです。
自分が水ぼうそうの診断を受けた中二の秋
肌だけはほんとにきれいだと
自負があったので
今から身体中にできものが出てきて
瘡蓋になって
下手すると跡が残ると分かった時には
この世の果てのように
絶望したのをはっきりと覚えています
まだ、タバコも吸わず何も知らず
清らかな体だったのが
どうなってしまうのかと。。
胸元のもち麦ほどの傷痕が
その時の傷のひとつなのだけど、
何かのスイッチになっているような
何かの入り口のような
なぜかこの傷跡からだけ感じる
特別な通路みたいなのがあります。
なんじゃそりゃ🤭
昔お付き合いしてた方で
「絶対に瘡蓋をめくってはダメ🙅」って
めちゃくちゃ厳しい人が居て
そんなこと言われるまでは痒さと
瘡蓋のカチカチの異物感に負けて
しょっちゅう剥がしていたのだけど
全身ぶつぶつは嫌だったけど
時々できる瘡蓋はめくりたいタイプ
剥がしかけのペロペロが乾燥して
気になって仕方ないし、痛い思いをして
引きちぎってました😩
その人に出会ってからは
傷が残るからダメ🙅‼️って言われて
瘡蓋ができても随分我慢することが
身について大人になっていきました🤭
でもね、50年近く生きてきて
普通に生きてたって
あちこち傷だらけになってて
不思議と
その傷がどこの何なのかわかったりして
しみじみ自分の体が
愛おしくなるのです。
最近の
「自分を大切に」の取り組みの中で、
最初は
自分を作ることだと思っていて、
理想の自分を外に作っては
自分にダメ出し、修正…。
これじゃない🫢と感じたので
自分を大切にすることにシフト
それらに取り組むうちに
“自分に還る”感覚をちらほら感じるようになって
“自分に重なる”へと変化してきています。
そうすると、
ほんとにコマ回しのコマみたいに
周りに何が纏わりついて来ても
逆に何を千切られても
真ん中には自分を保つ軸があって
外で起こっていることが
全く「それはそれ」になってきて
そこにふわりと重なると一気に
トレビアンでファビュラスな輝きに包まれる✨
揺らがない、自分を甘やかす唯一無二の
心地良い場所があります🥰
とは言っても、そんなに甘くはなくて
少しでもブレると
その穏やかなところからはずれて
嵐に撃たれます🤭🌪️
ほんとのほんとの心に集中していられたなら
まるで“きゅん♡”のように
真ん中からもっちゅり包まれます
そこは無風なので安山地帯です
歳を重ねることが
諦めになってしまっていてもおかしくない程
私はいつのまにか私を捨てていたし
周りに不正解を言われる度に
ハリケーンの中に放り出されたように
右往左往してまともではいられなかったけど、
あれはあれで
「大人の対応」と言う外側の何かに
軸を持って行かれて
ここに辿り着くための経験。
白髪が増えること、
水弾きが悪くなった肌、
ぼんやりとしたフェイスライン、
どれも美しさは衰えていくけど
今日は、相棒みたいな小さな傷が
私サミットへの入り口だったようです🚪
後何年付き合えるのかわからないけれど、
ここまでの傷も衰えも
かわいいなぁ。と思うと
また大事にしてあげたくなる。
唯一無二をもっと意識して信頼する
と言う気付きでした!
ほなまたねー^ - ^🤚

