愛で生きたい
愛に生きたい
愛を生きたい

愛愛愛とやかましいが
それだけはずっとはっきりしてる。


で、具体的にどうするのか?と聞かれると
実際よくわかってない。


と、言うことで今は 
わからないままを生きている。





好きなものを好きと言う。
これは割とできていて

嫌なものは嫌と言う。
やっとこれも意図的にやるようになった。

嫌を言うとは、
「アレってこうじゃ無いかな…」という
否定や疑問では無くて、例えば

「その日はダメやねん」とか
「それはできないわ」とかって言う

それは要りません
自分の都合に従って口に出すようになった。


それをできるようになってきたら
自分に対しての愛を感じるようになった。


相手にどう思われるかという
不確かなものより
自分が感じる確かなものを優先する

とても些細やけど無意識に苦手な人は多そう
素直なだけやのにな😅
これがかなり抜けやすい!

 ・ ・ ・

無いものを追いかけ続けるのではなく、
無いなら無いを受け入れる。

そして今ここにあるものを、大切にする。
好きなものにも過剰に期待はしない。
嫌いなものにガチャガチャと意味をつけて
大きくしない。


大好きなものが目の前から姿を消してしまうこともある。

そんな時はちゃんと悲しんでちゃんと泣く。
悲しさや絶望からも逃げないで
「もう十分」って納得するまで泣ききる。

無理に早々に前向きになったりもしない。

時間は止まらないから
泣いているうちに少しずつ景色が変わっていく。

ふと別の出会いがやってきたり、
思いもよらないものに心を動かされたり
気づけばまた何かを大好きになっている。


もちろん、
その「大好き」にも永遠はない。

だからまたまた失うことが怖くなる。
今確かにある幸せが
消えてしまうんじゃないかと不安になる。

そこへの過剰な反応は昔からで
大き過ぎる“消えてしまうことの恐怖”に負けて
自分から消しにかかる。


愛を生きたいと思いながら、
私はずっと失うことを恐れている。


ま、そんな全てごとをよしとして
↑ここまでは出来るようになった。



目の前にあるもの対自分に丁寧に付き合う。
↑ここの自分が消えがち



“怖がらない人になること”が目標ではないし
“失うことを受け入れられる完璧な人になること”が目標でもない。


怖いなら怖いまま。
悲しいなら悲しいまま。
不安なら不安なまま。

それごとを私として尊重して、
それでも大好きなものを大好きだと言い続ける。


愛を生きるというのは
なにがどうであれ
今確かにあるものと
それに対しての自分の感覚を信頼して
丁寧に大切にすることなのかもしれないな。


重要なのに忘れてしまうのがいつもこれで
対、自分の感覚

目の前の人やもの“だけ”を大切にした時に
自分が後回しになったり
止めたり、消したりしてしまっていないか。



癖なのかこれは
毎日しっかりと見届けてあげないと
すぐに
相手が何を欲しがってるのか?
と言う相手軸になってしまう。

結果、永遠に外に正解を求めて
壊れた細胞みたいに全然違うことをし始める。


中にある感覚をもっとみる
自分の芯はどう感じているのか。



案外、何も感じてないこともあったりして
最近、何も感じてないことを実感したりもする
なんかほっとしてそれも好き。



愛を生きたい”とは結局、
『今』を『自分』と生きる。
…これに尽きるか…









しかし、
目の前の環境なんかは
極論どっちでもいい!
ここまではまだまだ行ききれないわ😆





ほな、またね🤚