最近、またひとつ気づいたことがある。
長年の私過ぎて
しっかりと見えてなかった
私自身の話。
私はわりと、過去の話をするタイプ。
それは「聞いてほしい」という欲求では無くて
もう既に自分の中で片付いている物が
誰かの新しい視点になりうると思ってたから。
相手のことを先回りして話してたのも、
悪気なんて一切なかった。
多分役に立つやろう
少なくとも気づきになるやろう
…そう思ってただけ。
でもそれは、
相手からしたらお節介で
余計なお世話であることもあったんだろな。
最近ようやく腑に落ちた。
私にとって自分の過去を語ることは、
自分の宝を差し出す感覚。
私の身を切って渡してるつもりやったから
無意識に
同じ深さを相手にも求めてたんやと思う。
ど演歌みたいな
濃くて深い繋がりの中に
自分の居場所を探してた。
距離ができることを
水臭いとか冷たく感じて
いくらでも自分の持ち物や身体を差し出してたのは
パーフェクトな相手軸で生きてたからだったんだろな
相手の勝手な期待に応えられないことで
ガッカリされたり、
こちらも勝手な想像で相手に期待したり、
相手の言動によっては
自分が滅びてしまうほど。
経て経て今は、
もっとポップな距離感の中で
居心地の良さとか相手の良さを
素直にあっさりと感じられるようになってきた。
たぶんそれは、
誰かとの関係が変わったというよりかは
自分自身が自分の居場所になったからで
深さを証明し合わなくても
ちゃんとそこに在れる。
そんな感覚が
今は静かに味わえているということ。
激しさや濃さや深さへのこだわりよりも
穏やかに安心していられるようになった^ - ^
