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パラレル

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上野の森美術館で開催中の「VOCA展2026 現代美術の展望ー新しい平面の作家たちー」でこれは、と思う作品、《Liminal》の主観レビューをお届けします。


本作は、刈られた大根の花や茎が画面いっぱいに密集しています。

遠近感はほぼなく、地面を真上から見たような視点です。

 

色彩は、緑、薄紫、茶色という、類似色で構成されており、強いコントラストが生まれません。

ですので、鑑賞者は緊張せず、植物の美しさに入り込むことができます。

 

しかし上述の通り、描かれているのは、自然の姿ではなく、刈られた後の状態です。

ここで起きているのは、色彩は穏やかだが、モチーフは死や破壊という意味のズレです。

このズレによって、見た目は美しいが、状況は終わりに向かっているという感覚が生まれます。

 

ここから、自然のリズムに人間が手を出していいのか、という読みも成立します。

なぜなら、刈られた植物は、人間の行為の痕跡ですが、画面には人間がいません。

つまり、人間の不在の中に人間の影響だけが残っている構造になっているからです。

この状況は、農作業や都市の管理された自然、人為的に整えられた環境を連想させます。

 

この問いを、生と死のあわいから感じ取ることができます。

それは、作品タイトルとも響き合います。

タイトル《Liminal》は、「境界」「あわい」という意味です。

美しさ、失われていくもの、生と死、自然と人間は全て、「あいだの状態」として読むことができます。

 

まとめると、以下のようになります。

類似色による穏やかな画面は鑑賞者を花の美しさへ導く。

しかし描かれているのは刈られ地面に横たわる植物であり、その美しさはすでに失われつつある。

生と死の「あわい」を示すこの状態は、自然の循環に人間が介入している痕跡でもあり、自然のリズムに対する人間の関わり方を問いかけているようにも感じられる。


馬場美桜子《Liminal》

 

上野の森美術館で開催中の「VOCA展2026 現代美術の展望ー新しい平面の作家たちー」でこれは、と思う作品、《語られざる者の残響》の主観レビューをお届けします。


本作は、ある彫刻家のアトリエの庭に作者の没後も残されていた裸婦像がモチーフです。

右の作品は、閉じた眼や、やや俯き傾けた頭、丸い顔から優しさ、女性らしさを感じます。

背景が無いことも、その印象を一層強めます。

 

一方、左の作品は、ゴミに混ざって捨てられ、壊された裸婦像。

同じ彫刻でも扱い方で意味が変わってしまいます。

 

両者を分け隔てるものは何なのでしょうか。

芸術は役割を終えると無用なのでしょうか。

この問いは作品タイトルと繋がります。

つまり、語られなくなったもの、忘れられたもの、放置されたもの。

それでも完全には消えず、残響のように残ります。

左の彫刻は、芸術としての役割を終えたもののように見えますが、作品の中で再び提示されることで、もう一度語られる存在になっています。


戸田沙也加《語られざる者の残響》

 

上野の森美術館で開催中の「VOCA展2026 現代美術の展望ー新しい平面の作家たちー」でこれは、と思う作品、佐川梢恵《いつか永遠をあなたと過ごす》の主観レビューをお届けします。

本作は、実在の人物ではないキャラクターが描かれた幻想的ない場面を描いています。

タイトルの通り、2人は未来において永遠を共にすることを夢見て寄り添っています。

 

男性は、長い髪を弦楽器のように弾いていますが、実際に音符が広がるのは髪の部分ではなく、外側の空間からです。

また、外側も手摺のようなものだけが描かれ、奥行きが示されていません。

このことから、この空間は現実の物理的な世界ではないことが示唆されています。

 

画面左の人形は、2人の関係を祝福する存在のようにも見えますが、同時に人形という「現実とは異なる存在」である点から、この情景が現実ではなく、空想の領域に属するものであることを強調しています。

 

そのため本作は、「いつか永遠を共にする」という理想を抱きながらも、それが現実とは切り離された空想である可能性を静かに示している作品と読むことができます。

佐川梢恵《いつか永遠をあなたと過ごす》