《本の粒子》@あわいのほとり 主観レビュー | パラレル

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神奈川県立近代美術館鎌倉別館で開催中の「福田尚代 あわいのほとり」展でこれは、と思う作品、福田尚代(2021)《本の粒子》作家蔵 の主観レビューをお届けします。

無数の小さな白い粒のようなものが散らばっています。

よく見ると、それぞれは完全な球ではなく、細長い断片や小さな塊になっています。

これらは実は、本を細かく裁断してできた紙片です。

つまり、この粒はすべて「本」から生まれた断片です。

 

つまり、言葉と物質の境界が崩れ、言葉が物質のように扱われる状態になっています。

ここから、言葉は世界を構成する粒子なのではないかという発想が生まれます。

 

言葉は神の言葉なのではないでしょうか。

聖書には、神は言葉によって世界を創造した、「光あれ」と言って光が生まれた、という思想があります。

これは、言葉=創造の力という考え方です。

 

本作を見ると、粒子(言葉)が散らばり、また何かを作ろうとしているようにも見えるため、神の言葉が世界を再び組み立てようとしている、という読みも成立します。

 

また、人間も言葉の集積物なのです。

人間は、名前・記憶・物語・文化・言語によって自己を作っています。

つまり人間は、肉体だけでなく「言葉の構造」でできている存在とも言えます。

本作の粒子を、言葉の粒と見るなら、それらが集まることで人間や世界を作ることができるのです。

「世界や人間は言葉の粒子から作られている」という哲学的な読み方ができます。