《風景(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)》@いつもとなりにいるから展 主観レビュー | パラレル

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横浜美術館で開催中の「横浜美術館リニューアルオープン記念展 いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」でこれは、と思う作品、李禹煥(1968/2015)《風景(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)》個人蔵(群馬県立近代美術館寄託) の主観レビューをお届けします。


本作は、蛍光色のピンクやオレンジの塗料をキャンバスにスプレーで吹き付けた3点組の連作です(本展では2点のみ展示)。

1968年に発表されましたが、後に再制作・修復等を経て、現在は「1968/2015」という表記で群馬県立近代美術館に寄託されています。

 

タイトルに「風景」とありますが、山・空・地平線といった具体的な風景を描いているわけではありません。

李禹煥がここで提示している「風景」とは、外界の風景ではなく、「見るという行為そのものが立ち上げる知覚の場」なのです。

 

そして、鑑賞距離によって体験が大きく変化します。

遠くから見ると、単色の大きな色面として立ち現れ、絵画というより、色の気配に包まれる感覚を抱きます。

しかし、近づいて見ると、スプレーによる色の粒子のムラに気付き、均一に見えた色が、実は不安定で呼吸しているように見えます。

 

本作は、私たちの感情や、空間の条件によって、毎回違う「風景」が立ち上がります。

つまり、鑑賞のたびに成立し直す作品なのです。

 

これは、対人関係に置き換えることもできるのではないでしょうか。

感情を語らず、反応が曖昧な相手。

それでも、その人の「存在感」は確かにあります。

 

そして、近付くと、些細な違和感やズレが気になります。

適切な距離を取ると、相手の全体像が見えるようになります。

関係の質は、距離で変わるのです。

 

相手の態度を「冷たい」「明るい」と感じるのは、実は自分の状態の反映であることが多いです。

見えている関係は、常に主観的と言えるでしょう。

 

つまり、分かり合えなさを含んだまま成り立つ関係、というかなり成熟した対人関係となります。

本作でも、理解し尽くすことを求めているようには思えません。

言葉ではなく、体験として示す作品なのではないでしょうか。