WHAT MUSEUMで開催中の「きみはうつくしい」展でこれは、と思う作品、《father》の主観レビューをお届けします。
高齢の父親が病院のベッドに横たわっています。
窓からは白いインクが垂れており、この世ではない、つまり死を感じさせます。
描かれた父は、威厳や理想化された父性を示す存在ではありません。
むしろ、老いや疲労、沈黙を帯びた身体として描かれ、そこには生の重さや不可逆的な時間の流れが刻み込まれています。
つまり、血縁や家族愛といった感情的物語よりも、人が「在る」ことの現実性を静かに提示しています。
しかし、どれほど写実的に描いても、記憶や関係性を掬い取った「その人」になることはありません。
写実によって、かえって人の不可解さが露わになるのです。
ここで描かれているのは「父の像」であると同時に、他者を理解しようとすることの限界、そしてそれでもなお描こうとする行為の誠実さです。
ここでも通底しているのは、「どうせなにもみえない」なのです。
諏訪敦(1996)《father》

