足利市立美術館で開催中の「開館30周年記念 南画 隠れた景色へのかけ橋ー大山魯牛を中心にー」展へ行って来ました。
「南画」と聞くと何をイメージするでしょうか。
中国の深山幽谷や仙人たちが住む理想郷、あるいは古臭くてとっつきにくいというイメージを持つ人もいるかもしれません。
南画は江戸後期から幕末にかけて流行しましたが、明治になって「つくね芋山水」と揶揄され、その人気はだんだんと下火になっていきました。
そこで、南画家たちは、なんとか南画を存続させようと工夫を凝らします。
足利の田崎草雲もそのひとりで、琳派や南蘋派を取り入れ、その孫弟子にあたる大山魯牛は、抽象画の要素を加えることで、南画の危機を脱しようとしました。
本展は、所蔵品の中から大山魯牛を中心に南画を紹介し、彼らが憧れた景色、そして南画を存続させるための試行錯誤とは何だったのかを考えるものです。
展覧会の構成は以下の通りです。
Ⅰ 南画survivalー南画の危機ー
Ⅱ 大山魯牛ー南画と抽象ー
Ⅲ 南画revivalー南画と現代ー
中国から流入してきた南宗画や文人画を、日本風にアレンジしたものが南画です。
本来の南宗画や文人画は、士大夫と呼ばれる高級官僚などが、余技的に描いた絵画でしたが、池大雅らが南画を親しみやすいものにしたことで、日本中に広まりました。
幕末から明治初期にかけて大流行しましたが、フェノロサによって時代遅れの芸術とされてしまったことによって、その人気は尻窄みになってしまいました。
南画といったら、池大雅です。
池大雅《松下談古図》(制作年不明 足利市立美術館)は、松の下で清談(老壮思想に基づく科学的な議論)に興じる3人を描いています。
たらし込みによって遠景の山が描かれ、塗り残しによって水の流れが表されています。
大雅は雄大な景色を僅かな筆致で小さな南画に凝縮したのです。
田崎草雲《白波紅暾図》(1878年 草雲美術館)も必見です。
草雲の琳派学習が結実した作品です。
尾形光琳や酒井抱一の作品を下敷きにしていますが、波濤の輪郭線に沿って金泥で線が引かれているのは、南宋時代の伝・馬麟《波濤図》からの影響が指摘されています。
洋画家であった河野次郎が描いた《山水図》(1929年 足利市立美術館)も紹介されています。
河野はごく僅かな期間ではありますが、田崎草雲に師事していました。
南画の技術だけでなく、水彩画のようなぼかし表現が木々などに施されており、南画と洋画の両方を学んだ河野ならではの山水画となっています。
はっきりと描かれているのは目玉のみであり、体や髭、爪は僅かに見えるだけである龍を描いた、梅崎雲嶺《龍図》(制作年不詳 足利市立美術館)は面白い作品です。
黒雲の中を今まさに突き進んでいる龍の姿を描いた、臨場感あふれる実験的な作品です。
大山魯牛はよく「最後の南画家」と呼ばれます。
足が不自由であった魯牛にとって、南画は自分の憧れの景色を表現する最適な手段でした。
展覧会で受賞を重ね、その画業は順風満帆に思えましたが、戦中戦後期にスランプに陥り、自分が描くべきものは何かを見失ってしまいました。
しかし、抽象絵画との出会いによって突破口を見出し、南画と抽象を見事に調合させて、局面を打開することに成功します。
その大山魯牛《耕地》(1926年 足利市立美術館)は優作です。
山中の畑を耕すひとりの農夫。
その背後には、奇妙な形をした岩が聳え、靄が立ち込め、非現実的な世界が広がっています。
魯牛は、南画によく登場する隠者や高士を身近にいた農夫に置き換えて描くことが多かったのです。
本展は、南画の窮地から脱しようとした軌跡を辿ることのできる貴重な展覧会です。
南画を存続させるための試行錯誤とは何だったのかを考えてみませんか。
また、南画の精神を受け継ぐ現代作家の作品も紹介されており、南画は現代にも生き続けているのかを検証することもできます。
会期:2024年4月20日(土)〜6月30日(日)
会場:足利市立美術館
〒326-0802 栃木県足利市通2-14-7
開館時間:午前10時〜午後6時(入館は午後5時30分まで)
主催:足利市立美術館
協力:公益財団法人足利市みどりと文化・スポーツ財団、一般財団法人おもい・つむぎ財団