パラレル

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東京国立近代美術館で開催中の「企画展 アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」へ行って来ました。


1950年代から60年代にかけて、日本では短期間ながら女性美術家が前衛芸術の領域で大きな注目を集めました。

これを後押ししたのは、欧米を中心に隆盛しフランス経由で流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」と、それに応じる批評言説でした。

しかし、「アンフォルメル」が一時的な「旋風」に過ぎなかったとの反省のもと、「アクション・ペインティング」という様式概念がアメリカから導入されるのに伴い、そうした女性芸術家たちは如実に批評対象から外されてゆきます。

豪快さや力強さといった男性性と親密な「アクション」の概念に男性批評家たちが反応し、伝統的なジェンダー秩序の揺り戻しが生じたのです。

 

本展では、ジェンダー研究の観点から美術史の読み直しを図る『アンチ・アクション』(中嶋泉 2019)を起点に、むやみに神秘化され、あるいは歴史的な語りから疎外されてきた芸術家たちを紹介しています。

 

本展には章立てが無く、観客は回遊するように作品と出会う事が出来ます。

これは、作家たちを一つのグループとして括るのではなく、「それぞれ独立した挑戦」として見せようとするキュレーションの意図が感じられます。

 

特に印象深かったのは以下の作家たちです。

福島秀子は、円を描くのではなく、瓶の底などで「捺す」というスタンプのような手法を用いています。

一見アクション・ペインティング風ですが、「型」を使った反復という、極めて「アンチ・アクション」的なアプローチが光ります。

福島秀子(1959)《作品5》千葉市美術館

 

田部光子は、フェミニズム運動が国内で広まるのに先駆けて、社会的における女性の労働者的立場からの視点を当事者として作品に盛り込みました。

ドローイングに描かれた女性の手や体から哺乳瓶に向かって滴るのは、血のような赤い液体です。

田部光子(1967-68頃)《[不詳]》福岡市美術館

 

芥川(間所)沙織の染色技法を用いた鮮やかな色彩と、神話的なモチーフが交差する作品群は、当時の前衛美術の中でも異彩を放っています。

彼女の作品では、単純な形態や線、控えめな色調が繰り返し用いられています。

それは装飾でもなく感情の発露でもなく、一定の距離を保つための装置です。

この徹底した抑制によって、画面には緊張感のある静けさが生まれます。


芥川(間所)沙織(1954)《女・顔Ⅰ》豊橋市美術博物館

 

本展は、単に「忘れられた女性たちを救い出す」という同情的なものではありません。

むしろ、「私たちが信じてきた美術史、それ自体が偏っていたのではないか?」と問いかけてくる、非常にクールで力強い内容です。

同時代の男性中心的前衛と”並べて見せない”ことで、その差異が静かに浮かび上がります。

 

 


 

会期:2025年12月16日(火)〜2026年2月8日(日)

会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー

   〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3-1

休館日:月曜日(ただし1月12日は開館)、年末年始(12月28日〜1月1日)、1月13日

開館時間:10:00〜17:00(金・土曜は10:00〜20:00)

   ※入館は閉館の30分前まで

主催:東京国立近代美術館、朝日新聞社

巡回情報:豊田市美術館:2025年10月4日〜11月30日

     兵庫県立美術館:2026年3月25日〜5月6日

お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)

 

 

 

ヤオコー川越美術館で開催中の「三栖右嗣 「今を生きる」 画家は画面の向こうに在る その神秘を追い求めた」展でこれは、と思う作品、《秋日》の主観レビューをお届けします。

大画面を覆うように描かれた紅葉。

その向こうには孫を見守る祖母の姿が見えます。

生命の輝きと力強さを感じます。

 

しかし、人物は感情を外に表出させません。

表情は穏やかでありながら、空虚ではありません。

鑑賞者は、感情を読み取るというよりも、「この人物が生きてきた時間の厚み」を感じ取ることになります。

 

タイトルの《秋日》は、単なる秋の風景という意味を超えて、「秋の陽光に照らされた生命の輝き」を指しています。

秋という季節は三栖にとって、「実り」と「土へ還る」が同居する、最もドラマチックな季節でした。

 

また、圧倒的存在感を見せる自然に対して、人間はわずか。

自然に対し、反抗するのではなく、ありのままを受け入れようとする意思が感じられます。

 

そして、本作が語るのは、人生の劇的な瞬間ではありません。

むしろ、「何も起こらない時間を、確かに生きていること」

その尊さです。

 

本作は、三栖の人物画が到達した静謐と成熟の極点を示す作品と言えるでしょう。

三栖右嗣(1999)《秋日》

ヤオコー川越美術館で開催中の「三栖右嗣 「今を生きる」 画家は、画面の向こうに在る その神秘を追い求めた。」展でこれは、と思う作品、《マルガリータ》の主観レビューをお届けします。

柔らかな光が少女の横顔を照らし、背景の深い色調とのコントラストによって、少女の存在が浮き彫りになっています。

その表情は、ややアンニュイな雰囲気を帯びており、不安や切なさ、思いや感情の曖昧な動きが伝わってきます。

彼女が、新しいことに挑戦しようとする事への比喩として室内から外へ出ようとしている場面を描いたのではないでしょうか。

 

光は強く主張せず、色彩は全体に落ち着き、華美さはありません。

肌の色調には微妙な変化があり、血の巡りや体温を感じさせます。

これは三栖が単なる写実を超えて、「生きている身体」を描こうとしている証拠です。

 

声高に語らず、説明もせず、ただ存在させる。

その態度こそが、三栖右嗣の絵画の核心であり、本作にはその特徴が表れているといえるでしょう。

三栖右嗣(1995)《マルガリータ》