パラレル

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高崎市美術館で開催中の「5つの部屋2026 5つの小宇宙へようこそ」展でこれは、と思う作品、アンディ・ウォーホル(1967)《マリリン・モンロー(マリリン)》高崎市美術館蔵 の主観レビューをお届けします。

 

本作は、アンディ・ウォーホルが1967年に制作したシルクスクリーン作品で、20世紀の大衆文化や消費社会を象徴するイメージを、芸術として再提示しています。

 

肌が赤、髪が青、背景がピンクといった現実離れした配色は、自然な肖像というよりも“イメージ“としての顔を強調しています。

 

彼女は、自己と舞台が作り出す世間のイメージとの乖離に苦しみ、睡眠薬大量摂取により死去しました。

そこから、本作はウォーホルが色彩によって人為的に作り出したマリリン、つまり、舞台が作り出した虚像としての彼女を誇張した像と捉えることができます。

 

また、色彩の下に表情が隠されていることから、人間の内面が、色と記号によって覆い隠されている状態と読めます。

鮮やかな色は幸福や魅力の仮面であり、その下にあるはずの感情は見えなくなっているのです。

 

まとめると、マリリンは「作られたスター」であり、ウォーホルは色彩によってその人工性を極端化した結果、彼女の本当の表情や内面は見えなくなり、それ自体が彼女の生きた苦しみを象徴している、と言えるのではないでしょうか。

高崎市美術館で開催中の「5つの部屋2026ー5つの小宇宙へようこそー」展でこれは、と思う作品、柳澤裕貴(2013)《ゆらめきの中でーひとりだちー》の主観レビューをお届けします。

本作でまず目を引くのは、木漏れ日が地面一面に揺らめく描写です。

緑を基調とした色彩の中に、白や淡い黄緑の斑点状の光が散りばめられ、まるで水面が揺れているような視覚効果を生んでいます。

 

中央に立つのは、一人の子供。

人物は画面の主役でありながら、輪郭は強調され過ぎず、周囲の自然と溶け合うように描かれています。

 

しかし、本作の光は木漏れ日としては不自然なほどコントラストが強いです。

この描き方は、写実というより心理的な光に近い。

つまり、これは「自然光」ではなく、「境界を示す光」として機能しているように見えます。

それはまさに、日常の中に突然開いてしまった、異世界への入口と読み取ることができます。

 

そして、子供も影に覆われています。

ここで、本作の副題、「ひとりだち」と「異界」の関係を見てみましょう。

ひとりだち=成長=世界が変わる瞬間、と捉えることができます。

つまり、安全だった世界から出て、元には戻れない一歩を踏み出すことです。

その感覚を、「異世界に足を踏み入れる感覚」として視覚化しているとも読めます。

 

高崎市美術館で開催中の「5つの部屋2026ー5つの小宇宙へようこそー」展でこれは、と思う作品、ましもゆき(2008)《白夜迎》CINEMA RISE寄贈 の主観レビューをお届けします。

本作は、天井から無数の毛束のようなものが垂れ下がり、空間を覆うように構成されています。

先端は不規則にカールし、重力に従って垂れ下がることで、自然物のようでもあり、同時に不穏さも感じさせます。

 

背景には、垂直線が描かれており、無数の毛束と対立することで、その存在を際立たせています。

背景の垂直線は、無機的、均質であるのに対し、毛束は、有機的、不揃いという真逆の性質を持っています。

 

それは、同時に怪しさと官能性も兼ね備えています。

毛髪は本来、身体の一部でありながら、切り離されると不気味さを帯び、同時にフェティッシュな対象にもなり得る、という両義的な素材です。

本作では、生命の痕跡で、触れてはいけないものであるが、どこか惹きつけられるもの、という怪しさと官能性の共存が生まれています。

 

また、黒一色で、色を排したことで、形、量、質感、影といった要素だけが前景化されます。

つまり本作は、色彩を捨てることで、感覚そのものを浮き彫りにするという実験でもある、と言えるでしょう。