パラレル

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東京都美術館で開催中の「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」へ行って来ました。


アンドリュー・ワイエスは、故郷ペンシルヴェニア州とメイン州の風景を描き続け、アメリカの原風景を独自のリアリズムで定着させた「国民的画家」として、今なお敬愛を集めています。

しかし、彼が描き出したのは単なる郷愁を誘う景色ではありません。

ワイエスは孤独や生命の本質を凝視し続け、描いた画家でした。

 

本展では、ワイエスの芸術を読み解くキーワードとして「境界」を掲げており、その作品には、生と死、あるいは自己と他者を隔て、かつ繋ぐ象徴としての「窓」や「ドア」が繰り返し登場します。

「すべてのものは移り変わる」ーー父の死を契機に彼が描いたこの視座は、描かれた情景の奥底にある「精神のリアリティ」を提示します。

画家のまなざしを通じ、鑑賞者自らが内なる世界と対話することができる貴重な展覧会です。

 

展覧会の構成は以下の通りです。

 

Ⅰ ワイエスという画家

Ⅱ 光と影

Ⅲ ニューイングランドの家ーオルソン・ハウス

Ⅳ まなざしのひろがり

Ⅴ 境界あるいは窓

 

第1章では、「なぜワイエスはあの静かな絵を描いたのか」が理解できます。

ワイエスは、正規の学校教育を受けることなく、挿絵画家であった父・N.C.ワイエスの指導のもとで優れた絵画技術を身につけ、父の死後はさらに独自の絵画世界を深めていきました。

その制作には、きわめて個人的な経験が濃密に織り込まれています。

そのため、作品の底流には「死」が提示され、風景画は単なる田舎の情景ではなく、”不在を抱えた風景”として見えてきます。

 

第2章では、ワイエスが描いた「光と影」に着目しています。

ワイエスの絵作りの特徴のひとつとして、光を強く感じさせる部分と、それと対照的にほの暗さを帯びた部分とによって画面が構成されている点が挙げられます。

それは、単にコントラストを強調する視覚的なテクニックにとどまるものではありません。

むしろ、表層的な明暗表現を超えて、「生と死」という人間が逃れることのできない命題と向き合ってきた結果が、画面構成として立ち現れているといえるでしょう。

 

ワイエスがオルソン・ハウスを描くようになったのは、後に妻となるベッツィ・ジェイムズに連れられて、1939年に初めてこの家を訪れたことがきっかけでした。

家そのものに強く魅了されたワイエスは、住人のクリスティーナが亡くなるまでの30年間、この家の2階をスタジオとして使い、夥しい数の作品を残しました。

 

進行性の病によって脚が不自由になっていたにも関わらず、強い自立心を持っていたクリスティーナの人間性に惹かれたワイエス。

ワイエスは彼女を「悲劇の人」として描かず、”土地に根を張って生きる意思”を描いています。

それは、「弱さ」をロマン化しておらず、冷静で、時に残酷なくらい観察的。

しかし、その観察の深さが逆に尊厳を生んでいます。

 

ワイエスは、「題材を変えることは、私にとってそれほど重要なことではない。なぜなら、ひとつの題材からいつも新しい発見があるからだ」と述べています。

メイン州のオルソン家や、ペンシルヴェニア州の隣人であったカール・カーナーを長年にわたって描き続け、彼らの没後はカールの介護を行なっていたヘルガ・テストーフを描き続けました。

 

ここで重要なのは、対象物が変化してもワイエスの「まなざし」の温度が変わらない点です。

彼にとって、広大な自然の風景も、室内の小さな椅子も、同じ重みで存在しています。

第4章では、画家の視線が客観的な観察から、より内省的で普遍的な存在へと昇華していくプロセスが読み取れます。

 

第5章では、境界や窓に焦点を当てています。

境界や窓は、内側(精神世界)と外側(物理的世界)を分かつ極薄の膜です。

ワイエスは晩年、その膜の向こう側に何があるのか、あるいは自分がどちら側にいるのかという問いを、冷徹なまでの美しさで描き出しました。

 

ワイエスにとって、境界は分断を意味するものではありません。

それは、生と死を分かつものであると同時に、それらをつなぎ、連続させるものの象徴として意識されていたのです。

ワイエスにとって境界は、隔たりではなく、広い世界へとつながる窓であったといえるでしょう。

 

本展では、「ワイエス=郷愁の画家」という日本で定着しがちなイメージに留まっていません。

むしろ、彼を現代的な画家として提示しています。

ミニマルな構図、空白の扱い、視線の遮断、不穏な静寂ーーそれらは現代写真や映画にも通じる感覚があります。

 

ワイエスは、「見る」ことの速度を落とさせる画家です。

情報過多の時代に、この静けさはむしろ贅沢なのかもしれません。




会期:2026年4月28日(火)〜7月5日(日)

会場:東京都美術館

       〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36

開室時間:9:30〜17:30

       ※金曜日は20:00まで

       ※入室は閉室の30分前まで

休室日:月曜日、5月7日(木)

       ※5月4日(月・祝)、6月29日(月)は開室

主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、東京新聞、フジテレビジョン

協賛:DNP大日本印刷

特別協力:丸沼芸術の森、ユニマットグループ

協力:ワイエス財団、日本航空

後援:アメリカ大使館、ビーエスフジ

お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)


 

 

東京都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」でこれは、と思う作品、アンドリュー・ワイエス(1942)《冬の野》ホイットニー美術館蔵 の主観レビューをお届けします。

まず目を引くのは、前景に横たわる一羽の黒いカラスです。

乾いた冬草の中に倒れ込むように描かれ、その周囲には広々とした野原が続きます。

 

カラスの体の曲線と、丘の曲線が呼応しており、死体が風景の一部へ吸収されているように見えます。

つまり、カラスは「異物」ではなく、冬の大地そのものに回収されています。

個体としての生命が終わり、自然の無機質なリズムへ戻っていく感覚があります。

 

さらに、低明度の褐色・灰色・黒を中心とした色調は、感情の昂りを徹底して抑えています。

赤い血も劇的な空もない。

だからこそ、この死は「事件」ではなく、静かで取り返しのつかないじ事実として迫っています。

 

しかし、周りには誰もおらず、カラスの死骸は放置されたまま。

その死には何の意味があるのでしょう。

普通、絵画の死には意味づけがあります。

しかし、このカラスにはそれが一切ありません。

つまり、この死は「世界にとって重要ではない死」です。

しかもワイエスは、その虚無を告発するのではなく、異様な静けさの中に置いています。

そのため、見る側は「意味のない死」を前に立ち尽くす感覚になります。

 

一方で、別の読みもできます。

カラスの死が風景に溶け込んでいることは、「死に意味がない」のではなく、「死が自然に還元されている」という解釈も可能です。

つまり、人間的なドラマの不在は無意味というより、”自然は個体の死を特別視しない”という冷徹さとも読めます。

この二重性が、本作を強くしています。

 

東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「拡大するシュルレアリスム 視覚芸術から広告、ファッション、インテリアへ」展でこれは、と思う作品、《植物のトルソ》の主観レビューをお届けします。

本作は、一見すると「人の体」と「植物」が溶け合ったような、有機的で不思議な彫刻です。

植物のような形は、丸みを帯び、優しい印象を受けます。

作者のアルプは、「自然の法則や成長」に関心が強いので、「自然の穏やかな形に価値を見た」と読むことができます。

葉や樹皮は無く、自然の本質を表現していると思われます。

 

まとめると以下のようになります。

 

植物の丸みを帯びた形態は、攻撃性を排した穏やかな生命感を生み出している。これは作者が自然の形に見出した調和や安定を反映していると考えられる。葉や樹皮といった具体的要素を排除している点は、個別の植物ではなく、「生命の本質的なかたち」を抽象化しようとした意図の表れとも読める。結果として、鑑賞者にとって親しみやすく、触覚的な魅力をもつ存在となっている。

ジャン(ハンス)・アルプ(1959)《植物のトルソ》大阪中之島美術館