後悔~やっぱり助けに行きたかった | 浪江のニガヨモギ

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福島第一原発から10キロにある実家を離れ…

津波で親族を亡くされた方の話。



亡くなった方は、

原発から2キロくらいのところで、一か月後に発見されました。

結果として、亡くなられたので、

「なんで、あの時助けに行かなかったのかなあ」

と後悔しているそうです。



現実には、

3月11日に地震・津波が来て、

丸一日後の3月12日から

2キロ先の原発がドッカンドッカン4連発していたので、



当時も、わりと冷静な判断で、

捜索を断念していたとは思います。



1発目のドッカーンという音を聞いて、

あわてて捜索から引き揚げた方が、

後悔の念が残らないのかな・・・・

とも思いました。



車さえ確保しておけば、

大して被曝しなかったかもしれないし、

原爆みたいな、熱や光線を伴う爆発でなければ

なんとか行けそうな気もしますが、

難しい判断ですね。



実際、浪江周辺では

瓦礫に足が挟まって抜けなくて

でも助けに来てもらえなくて

凍死したであろう方も多かったようなので、

だったらリスクを背負って探しに行くべきだったのかもしれません。



難しいですけどね、

そういう、究極のリスク・ジャッジを一回勉強してみようかなと思います。



現実問題として、

生き残った人同士でケンカになるのです。


A:「どうして、あのとき、探しに行くのを止めたんだ!」


B:「行ったって、沼状態だし、道路も瓦礫だらけだし、

  だいたい、〇〇さんがどこに流されていたか分かんないでしょ!

  原発も実際に爆発したんだし」

A:「・・・・」



不毛ですけどね、

将来への備えのためにも

過去の消化のためにも、

ちょっと知識が欲しいな。