1964年のことです。
私が高校2年生(16歳)で1学期のとき、
私が不登校になったので、母が心配して、
京都駅の近くにあった神経症専門の
三聖病院に入院することになりました。
三聖病院では森田療法による
神経症の治療が行われていたのです。
当時、私は抑うつ型の神経症になっていたそうです。
このことは、退院してから52年後に、
宇佐晋一先生に手紙で質問して知りました。
三聖病院に入院してから行った場所は、
三聖病院の近くの旅館の和室でした。
そのとき、三聖病院の病室は空きが無かったので、
旅館の和室で一週間ほど寝泊まりしました。
その旅館の部屋に行った最初の夜に、
宇佐晋一先生が部屋に来られたことは覚えていますが、
先生とどんな会話をしたかは思い出せません。
たぶん「雑念が出ても出るままにしておきなさい」
と言われたのでしょう。
その後、三聖病院の病室(二人部屋)に移り、
数日、庭の草花、虫、魚などの観察を行い、
それらを日記に書いて宇佐晋一先生に提出しました。
翌日、先生の批評と指示が書かれた日記が返却されたのですが、
先生が何と書かれたかは覚えていません。
その後、毎日、他の患者(病院では修養性と言っていた)たちと共に、
作業室で菓子箱作りなどをすることになりました。
このころ、年配の同室者(男性)と親しくなった記憶があります。
夕方に、宇佐晋一先生は講話を週3回と、
世界美術史の解説を週3回されていました。
今では先生がどんな講話をされて、
どんな世界美術史の解説をされていたのか
まったく思い出せません。
三聖病院に入院してから1か月以上経つと、
私は菓子箱作りの作業が楽しくなり、
三聖病院に居続けたたかったのですが、
高校の夏休みが終わり2学期が始まるので
病院を退院することになりました。
当時(1964年)、三聖病院には
50名ほどの患者(修養生)がいたのですが、
その後、次第に患者(修養生)が減ったため、
2014年末に閉院となりました。
宇佐晋一先生の著書:「禅的森田療法」
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