お盆ですね、皆さんいかがお過ごしでしょうか私です。お盆は、7月初めから9月いっぱいまでの約3ヶ月ほどあり、その時は地獄の釜も開くので、様々な人たち(?)が現世に来ているそうです。

最近、私が保育園に通っていた頃のことを思い出しました。芥川龍之介の蜘蛛の糸を何かのキッカケで知り、保育園の本棚にあった絵本、蜘蛛の糸を毎朝チェックしていたんです。

お寺がやってる保育園だったので、蜘蛛の糸がありました。

ストーリーをざっくりと理解した私が何をチェックしていたか、それは、カンダタの末路です。

本当に子どもらしい思考回路なんですが、絵本の内容が普通に日々チェンジし得ると考えていたんです。

「今日はカンダタは極楽に到着できているはずだ。昨日は失敗して地獄に真っ逆さまだったからな…」

気持ち悪い園児ですね。カンダタが蜘蛛の糸を切らずに極楽に到着するまでしばらく蜘蛛の糸チェックをやっていました。今、書いていて悟ったのですが、なるほど… 絵本のカンダタのストーリーは決まりきって動かざるものですが、ノンフィクションの人間なら、失敗を考慮して、成功に近づいていける。

お寺のお堂の仏像様は、多分、園児たちの動向を観ておられたと思いますが、毎朝登園してカンダタがどうなったかチェックしている私を観て、

「あなたにできてカンダタには出来ないことに気づきなさい」

と、仰りたかったと思います。小さい子たちが訳もわからず、仏教行事をしたり仏教用語を言ってみたり、可愛らしく微笑ましく有意義なこと(まさにただ体感という感じで)に今なら感じられますが、当時の生意気キッズ私は、違和感を感じていました。

おかしい。と。

解らないことをみんなで声を合わせて、これはどこにどう作用するんだろうか。苦ではなく使命感すらあったお堂での正座の時間も、座って眼を閉じながら、「ちゃんとできた子がえらいんだ」と考えていました。よく出ていた単語「ねはんえ」とはなんなのか?卒園までさっぱりでした。

しかし、私は今同年代の友人たちより仏教界隈に興味があり、好きです。