寸鉄90選Ⅱ  詩と思索 オーデン 大江さん

 

 

 

 Ⅱ―1 詩と思索

  11 ○哲学者のほかには詩人が無について話すことができる。

      ○哲学および哲学の思惟と同列にいるのはただ詩だけである

      詩人の詩作と哲人の思惟との中にはいつでも広い宇宙空間が開けられている。

 

             ☆「形而上学入門」ハイデガー、平凡社ライブラリー、p51 1/31

 

 

 

   12 ◎認識には3つの方法があります。第一に分析的方法、」第二に直観的方法、それに第三に聖書の預言者たちが使った、啓示の助けを借りる方法。文学の他の形式と詩との違いは、詩がこの3つの方法を同時に使うという点にあります。(略)

    たった一つの言葉、たった一つの韻の助けによって、詩を書く者は、以前に誰も到達しなかったところに、そしてひょっとしたら自分が望んでいたよりも遠くに、辿りつくことができるでしょう。P35

○◎詩を書く者が詩を書くのは、なによりもまず、詩作が意識や、思考、世界感覚の巨大な加速者だからです。P35

 

☆  ブロッキイ「私人 ノーベル賞受賞講演」群像社、1996  4・13

 

 

 

 

 

 

13 [形式上の分割]

    ⅩⅦ

ヘラクレイトスは、相反するものの熱狂させる結合を強調する。(略)

   詩と真実が、私たちの知るように、同義語である。(下略)P132

 

☆「ルネシャール全詩集」吉本泰子訳、青土社  7・19

 

 

 

  Ⅱ―2  オーデン

 

21 悲しみにかきくれてうずくまる少年が 

  五月の蝶のように軽やかな笹船を放ちやる 

   ランボー「よいどれ船」   p40 

  ☆「怒れる海 ロマン主義の海の図像学」オーデン、澤崎順之助訳、南雲堂 3/8

 

 22 ○ぼくらは地平的人間のほかは

   誰だって買いはしないのだが

   もしできることなら垂直的人間に・

   敬意を惜まないことにしようではないか。 P10・扉

 

○わたしは、とてつもない世界の一寸法師の観察者。⒝ p24 

⒝Tiny observer of enormous world.(「1929年」Ⅱ、2連)

 

 ○◎敗者に語る「歴史」の言葉は、「嗚呼アラース」までは口に出るが、

   それからさきは決して歴史は助けてくれない、お赦しもさがらない。P46⒟

        (「スペイン・一九三七年」)

 ⒟History to the defeated

    May say Alas but cannot help or pardon.(「Spain 1937」最終連ラスト2行)

  

オーデン詩集」深瀬基寛訳、せりか書房、1971   5・13

 

23○◎「しかし獲物として一つだけ奴に手の届かぬものがある / 

人食い鬼は言葉をものにすることができないのだ」

「1968年6月」堀田善衛訳~チェコ侵入p204

 

  「第二の世界」オーデン、晶文社 10・21

     【あとがき:オーデンー小ゲーテの側面  中桐雅夫】

 

24 ○◎「科学か! 呪われてしまえ、こんな役に立たん玩具は。人間の目を空高くむけさせるものは、なにもかも呪われるがいい―・・・人間の目というのは、本来この地球の水平線を見わたすようになっているのだ.」。(下略)『白鯨』CXⅧ  p221

 

 「怒れる海 ロマン主義の海の図像学」オーデン、沢崎準之助訳南雲堂  11・28

 

 

 

 

Ⅱ―3 大江さん

           大江 健三郎  2023年3月3日没

 

31 ○武満 僕は自分自身アナーキストではないかと思うp194

   ○大江 実は僕も自分はアナーキストじゃないかと感じてきたし、いまはもっとはっきりアナーキストになりたい。 そのヒントはショーレムとベンヤミンの若い頃の対話。「自分たちにとって一番美しい政治形態はアナーキズムかもしれない。◎アナーキズムは人間を信じるものだ。人間を信じているから支配する政府がなくてもいいと考えるのだ.」(ショーレムの回想)p195

    

    「オペラをつくる」 武満徹 /大江健三郎、岩波新書、1990 5・11

 

32 ◇日記より  5・11

 

○    大江の小説のタイトル        WHOの詩のタイトル せりか版ページ

「見るまえに跳べ」1958年      「見るまえに跳べ」p87

「狩猟で暮したわれらの先祖」    「狩猟で暮したわたしたちの先祖は」p106

  「文芸」1967年→1969年

「われらの狂気を生き延びる道を   「支那のうえに夜が落ちる」p151

教えよ」「新潮」1969年2月→1969年 「われらの狂気を生き延びる

道を教えよ」p153(最終連の2つ前)

☞ 手元の「オーデン詩集」は1971年刊行だが、1954年のあとがきがあることから、大江は深瀬訳にもとづくと断定していいだろう

 

33 ◎誰びとか民を救はむ。目をとぢて 謀叛人なき世を思ふなり

「家常茶飯」ラスト5首

  ◇大江健三郎の小説「われらの狂気を生き伸びる道を教えよ」の結末部に引用されているので知った

  

 「釈迢空 全歌集」岡野弘彦編、角川文庫  6・10

 

 

 34  「危険の感覚」

 

○作家にとって一番大切な、そして最も基本的な態度とは、どういう態度でしょうか、というインタヴィユアーの質問を受けたことがある。

○僕自身はこう考えている。(略)⦅ぼくという作家にとって、一番大切な、そして最も基本的な態度とは、危険の感覚をもちつづけるということです。⦆

 危険の感覚という言葉にぼくはオーデンの詩集のなかで出会ったのだ。(略)オーデンはこう歌っている。

 危険の感覚はうせてはならない

 道はたしかに短い、また険しい。

 ここから見るとだらだら坂みたいだが  p430

 ○この詩をぼくがはじめて読んだのも、ずいぶん以前のことで、ぼくはやはり学生だった。ぼくは感動しこの詩をぼくの行動法にしようと思った。現在についてばかりでなく、過去に向かっても、ぼくは危険の感覚というフィルターをとおして、子供のころの自分をのぞきこみ、いくつかの発見をしたものだった。P430-1

 

「大江健三郎 厳粛な綱渡り 全エッセイ集」文藝春秋社、29刷(昭和47年)6・24