寸鉄2023④  この一年の日記からのノート断片とアフォリズム

 

 

 

1 「差異と反覆 (下)」ドゥルーズ、河出文庫  10・26

 

  ○◎「あらゆる真理は曲がっており、時間はそれ自体円環である」と侏儒がいう。「ツァラトゥストラ」第三部 p334

   ◇「そらせる」とカフカは述べている(αβ―65)

 

 

 

 

 

2「金融緩和の罠」菅野稔人編、集英社新書2013年4月  10・26

  ◇二章 積極緩和がもたらす副作用 ×河野龍太郎→発言はKで表示 

  ○K経済の実力そのものが落ちたときに、貨幣供給量を増やすことでなにか改革することができるか→むしろ逆効果p92

○K最初の切り口→企業の設備投資 ⇒出発点はあくまで需要p92-3

 

○Kエコノミストや政策当局者が本当の問題に気がつきにくくなる現象がある=人口ボーナスがピークに達したときに不動産バブルがおこるp104

○Kバブルとその前後という現象は、本当にエコノミストや政策当局者のめをくらませてしまう程強烈p107—8

 

○K泥沼の価格競争におちいり製品価格をやたらと押し下げてしまった この15年間のデフレの原因の一つp125

〇K金利0で資金を貸してしまうと、本当は資金を必要としない人も資金を取ってしまう→次なるバブルと危機をひきおこすp130

〇◎K国民が景気拡大を感じられなかった理由=利子所得が増えなかったこと=0金利政策は家計から利子所得を奪っていますp140

 

〇K極端な金融政策を長引かせることが、経済本来の目的である家計の消費をふやすことを阻害していることに日本は気がつかなかったp141

 

〇Kなぜ経済政策をやるか→一人あたりの個人消費の継続的な増加p141

 

〇K◎家計と企業が使うのをやめたお金がどこへったか→貯蓄にまわって金融機関に集まる→リスクが低くて日銀が買い支えてくれる国債を買っている→飢えたタコが自らの足を食べはじめたような状況 !! p143

〇K◎国債管理政策に強く組み込まれた日銀は、物価を安定させることと、・金融システムを安定化させることの両方を目指すことが難しいp148

 

〇K◎財政金融政策の本質 「財政政策は所得の前借りである。金融政策は需要の前倒しである。」p134

○K貨幣数量説 長期的にはある国の物価水準はその国内で流通している貨幣の量によって規定されるp115 

 

 

 

 

 

 3「民衆のアメリカ史 中 1865~1941」H・ジン、TBSブリタニカ  10・27

 

  〇ヘレンケラーが活動家となり、さらに公然と社会主義者になってくると

   「私が時々考える著書を書いて社会主義運動に貢献できる機会があれば、その本につける題名はもう決まっている。 『産業の盲目と社会の聾』 」p574

 

 

 

 

 

4 「東京の原風景 都市と田園との交流」川添登、NHKブックス  11・10

 

○    武蔵野台地が、沖積平野とぶつかった崖の東端にあるのが上野山で、そこから北

へ、日暮里、道灌山、飛鳥山と丘が連なっている。(略)

  駒込染井の長池から発した谷戸川が、西ヶ原を経由して、中里、田端、谷中と谷をえぐりながら南下し、根津谷中付近で、その名も藍染川と変わって不忍池にそそいでいた。

この谷にょって、武蔵野台地の先端が、本郷台地と区切られ(略)p22

○本郷台地の稜線上には、中山道、岩槻街道が通じており、はるか先まで市街地が形成された ☞岩槻街道(御成街道) 駒込をへて、霜降橋で谷戸川を渡り、上野、飛鳥山台地へ移って、連丘に沿い、王子へと向かうp3

 

 

 

 

 

 ◇日記より  11・14

 ○カルミーナとラッセルから手書きの返事が来た。ZARAGOSA11月6日の消印.。夏

 に詠んだ本の中でを上げれば対訳のイェイツの詩集だと書き、詩行の引用も付け加え 

 たのに対応して、ラッセルの手紙では、イェイツについてしっかり書いてくれた。彼

がマスターピースだと思う詩と気に入った詩行まで書いてくれていて、こちらのメモ

と一致する部分(●印)もあり楽しい。

  ラッセルの手紙には7つの詩が載っている。。

①    Saiiling to Bizantium         〔33〕1927●    

②    When you are old           〔13〕1892●

③    〔Meditation o the old Fisherman〕    〔28〕1916▲

④    He wishes for the cloths of Heaven   〔18〕1899〕※

⑤    The Lake Isle of Innisfree       〔11〕1890●

⑥    Easter 1916             〔36〕1920●※

⑦    An Irish Airman foresees his Death    〔26〕1919 

◇※はラッセルが詩行を引用している所で、かつ私がメモをしているところだ。Fishermanだけがラッセルの書いている詩とタイトルがちがっていて不明。

  「イースター1916」の引用はラッセルと同一の箇所。

  “Too long a sacrifice ,/ Can make astone of the heart.”

④のラッセルのおすすめの引用はこうだ。

“Tread softly because my dreams.”

 

 

 

 

6 「民衆のアメリカ史 下」H・ジン、TBSブリタニカ  11・16

 【シットインのおこり】

 グリーンズボロ事件 ノースカロライナ州 1960年2月1日、黒人単科大学の4

 人の1年生が、下いレンツェ町にある白人専用の食堂で席を取ろうとした。彼らはサービスを拒否された。彼らが立ち去ろうとしなかったので閉店してしまった。翌日も彼らは出かけて行った。その後、連日他の黒人がやってきて黙って座っていた。p753

  

7 「フィレンツェの朝」ラスキン、みすず   11・24

 

 ○◎エトルリア美術はイタリアの谷間にすなわちアルノ川流域とテヴェレ川上流の地域に紀元前7世紀から現在に至るまで(田舎の漆喰職人の漆喰にエトルリアの図柄をひっかいている現在に至るまで)一続きの作品群として残っている p85

 

 

 

 

8 「反時代的考察 下」ニーチェ、岩波文庫   11・24

 

○当今の人間 瞬間Momentと意見Meinunaenと流行Modeとの3つのMから酷使せられる奴隷(第三篇 ショーペンハウアー)  p78

 

 

 

 

 

「回想録 わが師たち 藤田省三・古在由重・高杉一郎」同時代社  11・26

  太田哲夫著   ☞文中のFは、藤田の発言

○◎アーレントの「全体主義の起源」は記念ℍ的書物だ。19世紀の「資本論」、20世紀の「全体主義の起源」といってよいFp28

○F(電話で) ◎「自分はやり残したことが二、三ある。その一つは自然哲学について 書くことだ。いろいろ準備はしてきたがぼくにはもう書けない。」p29

 

○◎「原稿を書く時は丸山(眞男)先生に読んでもらうということを考えて書いた」勉強会をしていた頃の発言p36

  ○「精神史的考察」1982年以降の作品も初期と同じ意味で丸山先生を想定していた

かどうか? (太田)

 

 

 

 

10 「怒れる海 ロマン主義の海の図像学」オーデン、沢崎準之助訳南雲堂  11・28

 

  ○キェルケゴールが—  弱さの絶望 すなわち,絶望して自己であろうと欲しない場合、と  強情の絶望、すなわち絶望して自己であろうと欲する場合と 定義したふたつの対立する種類 「死に至る病 1,3」p211

 

○◎「科学か! 呪われてしまえ、こんな役に立たん玩具は。人間の目を空高くむけさせるものは、なにもかも呪われるがいい―・・・人間の目というのは、本来この地球の水平線を見わたすようになっているのだ.」。(下略)『白鯨』CXⅧ  p221

 

 

 

 

 

11 「イタリア人の太古の知恵」ヴィーコ、上村忠男訳、法大出版会  12・3

 

○ヴィーコは人間の知性が確実な知識に到達するに際してのインゲニウム(構想力)な

 る能力の働きをことのほか重視→記憶力および想像力とならんで、(略)判断および推理に先立つ発見ないし表象の作用を担うべきものp17

 

 Ⅶ○想像力はこの上なく確かな能力であって、それというのも、我々はそれを用いつつ事物の形象を作り出す。

  真の理解力も能力である→これによって我々が何かを理解するとき、我々はその真理を作っている。P115

 

○◎ingenium構想力とは互いに離れたところにある相異なることどもをより近接的に結合する能力(105)ヴィーコの思想を理解するうえで鍵となる用語p119

 

○◎習俗の類似性は諸国民のうちに共通感覚(115)を生み出す。(略)遠く隔たった場所から自分の扱っていることがらに適した論拠を探しだしてくる鋭敏な人々。これこそは構想力に富んでいる証拠=鋭敏:acumen   (115)原語はsensus communis p129

 ○◎想像力は判断力が理解力の目であるように構想力の目なのである。P133

 

 ◇「ヴィーコの哲学」(クローチェ、未來社)の訳者あとがきでも、上村は《たがいに遠く離れたことどものあいだに連関を見い出す能力》ヴィーコがとりわけ重視したことを指摘し、14世紀の奇想主義との関連を示唆している。

 

 

 

 

12 柳田国男のことば

 

①    ◎日本の人間は他の国に較ぶれば、復讐心が強いp29

 

「柳田国男 山人論集成」大塚英志編、角川ソフィア文庫  12・6

 

②   ◎日本の文化史を書いた物以外からやろうとすると、最初は苗字と地名とに手をつ

けることになる。P327

 

  「故郷七十年」柳田国男、角川ソフィア文庫  12・7

 

③    およそこの位空漠不徹底な独断をもって未来に対処していた国民は珍しい(略)こういう時代がしばらく続くならば、常識の世界には記録の証拠などはないから、たちまちにして大きな忘却が始まり、以前はどうだったかも知る途が絶えていく。p4

 〇この度の超非常時局によって国民の生活は底の底から引っかきまわされた。日常は

 見聞することも出来ないような、悲惨な痛烈な人間現象が、全国の最も静かな区域にも

   族出している。P6

 

  「先祖の話」柳田国男、角川ソフィア文庫  12・25

 

 

 

 

 

13 「蜂起 詩と金融における」べラルディ、水声社  12・11

 

○    わたしたちの時代の後半は福島の出来事によって徴されている。P336

 

○◎イェイツ「再臨」:事物は粉々に砕け、中心を保てない、℗45        p79

○後期近代においては、若者に対する甘言と老人への蔑みが広告の本質的な特徴となる。

○◎金融は、富の脱領土化によってもたらされるものである。P93

〇◎近代の終焉は、未来の崩壊から。シド・ヴィシャスが「ノー・フューチャー」と叫んだことから始まった。P116

〇◎、感性は、言語化できないものを理解する能力p166

○風向きが変わり、労働者の運動が敗れたとき、新自由主義は、資本主義の攻撃性な波にイデオロギーを供給した。P186

〇今日の新自由主義の順応者は、68年世代のひねくれた相続人だ p187

 

 

 

 

 

 

 14 「もう一つの審判」カネッティ、法大出版会  12・16

 

 ○カフカの主要テーマの一つは屈辱である。P121

○「変身」では屈辱をこうむっている肉体のその屈辱が凝縮したのである。P122

○「審判」の中では屈辱は「変身」の家族よりははるかに複雑な上級審から起こる。P123  

  ○犬の比喩的な表現はカフカの作品にくりかえし現われる。P124

○〈まるで犬だ!〉と彼は言った。さながら恥辱が生き残って行くように思われた。~   『審判』p109

 

 

 

 

 15 「わが秘密」ペトラルカ、岩波文庫  12・23

    ☞本文はアウグスティヌス(Auと略す)とペトラルカ(Frと略す)の対話の

   形式で進行する

 

○Auお追従は友を生み、真実は憎しみを生む 

テレンティウス「アンドロスの娘」一幕68 p95

 

○◎「私は人間の魂が不滅であると信じているが、もしこの点で誤っているとしても 甘んじて誤っていよう。そして生あるかぎり、わがよろこびとする。この誤りを奪りあげられたくない」。    キケロ P163註⑴(P294)

 

○Au:◎オウィディウスの詩句。

    恋する人よ、孤独は危険。孤独な場所を避けたまえ。 /

       ああ、どこへ逃げていく? むしろ人中こそ安全なのに。

         オウィディウス「愛の治療」五七九―五八〇 p214

 

○◎「まえに言われたことのないことが何か言われたためしがない」

テレンティウス「去勢奴隷」前口上四一⒫254

 

○Au:名誉とはいわば徳の影のようなもの。

キケロ「トゥスクルム」一巻四五―一〇九

 

 

 

 

 16 「ファンタジーの文法」ロダーリ、筑摩  12・27

 

  ○《論理学があるように、ファンタジー学があるならば、創作の方法が見い出せるだろうに》すばらしいことばだった。  P3

ノヴァーリス断章」『全集2巻』牧神社1975

  ○《仮定は網である。-ノヴァーリスは書いている。―網を投げてみたまえ。そうすればおそかれはやかれ、何かがかかるだろう。》p37 

6.〈もし・・・なら、どうなるだろう〉

 

○ユートピアを知性の世界(グラムシが方法論的ペシミズムといみいくも看破した)から意志の世界(グラムシによれば、この世界の主な特徴はオプティミズムということになる)へ移行させればそれでよい。P46

 

  ○まずはじめに気がつくことは、⦅想像力》と⦅ファンタジー》がいかに長きにわたって哲学の歴史から外されていたか、ということである。P243

〈44.想像力、創造性、学校〉

○《イメージは活動であって、事物ではない》という美しい言葉  p245

ジャン・ポール・サルトル「想像力」p104、人文書院、1957