3-3 20世紀 バウマンの場合

 

 

  前二者の1930年代とは、同じ20世紀でも遠く離れた1990年に、バウマンの

 『近代とホロコースト』は登場する。表題が示すように、主にナチスによるホロコーストの意味を深くほりさげた作品である。

 

  第二次世界大戦については、アドルノの「広島とアウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という言葉もある。ローマの詩人ホラティウスの詩は、意味を持ちうるのだろうか。

 

 バウマンの『近代とホロコースト』を読み進めていくと、読者に投げかけるように、ホラティウスの詩句の引用がある。

 

 「道徳は叡智が生むのか、自然がもたらすのか」(ホラティウス「書簡詩」1,18)これは古代ローマ人にとっても、痛切なジレンマである。(『近代とホロコースト』ちくま学芸文庫、p375)

 

 「全集」では、下の部分である。

 

  「 (前略)  美徳とは

 学問により身につくのか、

 自然の女神の賜物か。

 胸中の憂いをなくすには

 どうすればいいか。 (下略) 」(「書簡詩」一・一八)

 

  この詩は「処世術」という題のあるロリウス宛の詩の半ばにあり、ロリウスとは前二一年にコンスルとなるマルクス・ロリウスの子と推定され、前二〇年冬の制作と思われる。

 バウマンは、このジレンマは現代のわれわれにとっても、古代のローマ人にとっても時代をこえて共通である、と言い切っている。

 

 『近代とホロコースト』のどこにホラティウスの引用があるのだろうか。まず、私が用いたテキストは『近代とホロコースト[完全版]』で、2021年にちくま学芸文庫の一冊として出版されている。これは2000年に出版された原著の新版を訳出している。ここにはパウマン自身のあとがきとして「記憶する義務 しかし何を?」(長文で示唆的な内容)も新たに訳出される。それ以前に大月書店から2006年に原著の初版(1989年)からの訳出が同じ訳者・盛田憲正氏によってなされている。この日本語版の初叛に、原著出版の直後に授賞したアマルフィ・ヨーロッパ賞の記念講演(1990/5/24)が「補遺」として訳出されている。「道徳の社会的操作 道徳的行

為者、無関心行動」という副題もついた長いタイトルである。冒頭の挨拶から本論に移る「扉」のような部分にホラティウスの引用はある。

アマルフィでの講演なのでローマの桂冠詩人が思い浮かんだという一面はあるだろうが、時代をこえた倫理的問いを読者に投げかける場面だから、この詩行なのであろう。

 『近代とホロコースト』はどのような著作なのか?ホロコーストについての歴史的知識は年とともに精確に集積されていくが、それが近代の歴史像に投げかける意味を把握する作業は、アドルノやアーレントといった少数の著作家が呼びかけたが未完のままである。この作業をアドルノやアーレントが到達した地点から始めてみよう、というのが私の意図である、と原著新版のあとがきでバウマンは書いている。あとがきの扉に引いた「過去を支配する者は支配する」を受けて、あとがきはこう結んでいる。「現代をコントロールする者に過去の操作を許さないことが至上命題なのだ。」と。

 

20世紀の著作家はどのようにホラティウスと出合うのだろうか。おそらく古典の教養

の一部としてだろう。しかし、規範とするよう教えられたのではなかろう。それぞれが現代の問題を考えるヒントを、ホラティウスの詩行から、たしかに発見している、といっていいのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3-4 補遺 20世紀 E.ブロッホの場合

 

 20世紀は3人の著作家からの引用で終わろうと思っていたが、書き進めるうちにブロッホの引用を付け加え、それでまとめることにした。

 

 ブロッホの「ルネサンスの哲学」(白水社)の中ほどすぎにこんな一節がある。

 

 一組の勇敢で抜きんでた精神の持ち主がスローガンを与えました。「君自身の悟性を利用

する勇気を持て。」カントは後にこの(ホラティウスの)スローガンを、次のように定式化しました。「啓蒙とは、人間が自らに責任のある未熟さから脱出することである。」では、蒙を開きながら未熟さから脱出するためには、どうすれば良いのでしょうか。そのためには自分の悟性を利用する方法がどうしても必要です。(「書簡詩」Ⅰ・2)

 

 いつものように「全集」で引用箇所を確めると、次の部分だろう。

  さあ、はじめなさい。君もまた

賢者の一人におなりなさい。

まともに生きるその時を

先に延ばしている人は、

川の流れが尽きるのを

じっと見ている農夫です。

川は渦巻き流れ去り

何時までたっても相変わらず

流れ続けることでしょう。(太字は引用相当部分)

 

 前にも私のホラティウスに関する文章に目を通したことのある読者なら、苦笑され

ているかもしれません。ホラティウスのこの同一の詩句を4度目の引用である。最初

は『ホラティウス頌』の冒頭に近い「カントの場合」で、次は今度の『ホラティウス、20世紀を翔ける』の導入にあたる19世紀の「キルケゴールの場合」で、3度目は、そこへの註としてカントの「プロレゴメナ」への引用を紹介して、そしてようやく今回が来る。ブロッホは「君自身の悟性を利用する勇気を持て。」と言いかえているので、感性に比べても、理性に比べても、日常ではあまり使わない「悟性」をわかりやすく言いかえる必要があろうか。〈考える〉と言いかえてどうだろう。

 

 カント、キルケゴール、ブロッホの交差点のような場所に、このホラティウスの引用があるが、若いロリウスに宛てた、この「書簡詩」一・二は、「ホメロス讃歌 節制の勧め」と題されている。ホラティウスがこの詩を書く直前に「ホメロス」を読み返していて、オデュッセウスの英知を讃え、ロリウスに助言の序言の言葉を贈るのである。

 ブロッホの注目すべき点は、古代のホラティウスの発案を、「啓蒙とは

何か?」のなかで、カントが「定式化」するという二人の共同作業に仕立

てていることである。

 

 ブロッホの「ルネサンスの哲学」はどんな書物なのか。そのためには、

ブロッホの生涯をたどっておいた方がよいだろう。1885年に生まれたブ

ロッホは、ワイマール共和国時代に、マルクス主義哲学者としてすでに有

名であり、ルカーチや、本書に登場するブレヒトと親交を結ぶ。ユダヤ人

であったため、ナチス政権が成立した1933年には亡命し、ヨーロッパ諸国

を転々としたあと、合衆国に亡命する。注目すべきは、最初の亡命を1917

年、スイスにしていることである、その理由までは明らかでないが。

 ブロッホは第二次世界大戦後、東ドイツに住む。その間ライプチヒ大学

で、1950~56年、「哲学史」を講義している。本著のテキストは主にこの

講義に由来する。

 だが1961年の、ベルリンの壁設置に抗議し、西ドイツに移住したため、

「ルネサンスの哲学」の出版は1972年である。その間新しい職場チュービ

ンゲン大学でルネサンスの哲学の講義(1962~63年)を行い、それもテキ

ストの一部となっている。

 大変長く年代的な説明をしてしまったが、そんな「ルネサンスの哲学」は、

イタリア、ドイツ、イギリスの、主に7人の思想家を取り上げて論を進めて

いくが、イギリスの哲学者フランシス・ベーコンの章でホラティウスとカント

が登場する。そのの4つ目の節「ベーコンの経験値」のこんな導入に続いて引

用がある。「曇らされた認識の鏡を磨くことによって、ベーコンはいったい

何をもたらすのでしょうか。」

 ベーコンを「啓蒙主義者」と呼ぶ言いかたは、この説の直前に一度あるき

、りだが、ブロッホがカントの「啓蒙とは何か?」を深く読みこんでの引用

であることにまちがいはない。「考えるとは乗り越えることである」という

ブロッホの墓銘碑も連想される。

 ブロッホはナチズムと同時代であるが、出版された時期から見てもこの

著作はナチズム批判という以上に、現代の哲学的考察といってよいだろう。

また、足かけ7年に及ぶルネサンスの哲学講義へのこだわりからいっても、

「世界史がまだ見たこともない、上昇する階級の活力に満ちた朝」:ルネサ

ンス(前掲書「序論」)へのブロッホの注目を忘れることはきない。