先日見た「映像の世紀バタフライエフェクト
レンズの向こうの戦争 ジャーナリスト 沈黙との闘い」に第二次世界大戦直後の日本を撮影したアメリカ海兵隊の従軍カメラマン、ジョー•オダネルが取り上げられていました。
彼は、軍の任務として広島や長崎の被災状況を撮影する傍ら、自分のカメラで当時の日本人の姿を約300枚撮影。
しかし、 帰国後、戦争の過酷な記憶を封印するためネガをトランクに隠していましたが、43年後の1989年にようやく公開を決意。彼の写真は写真集『トランクの中の日本』として出版されました。
最も有名な写真は、長崎で撮影された『焼き場に立つ少年』です。
撮影したジョー・オダネルは、その時の光景を自身の著書『トランクの中の日本』などで以下のように生々しく記述しています。
10歳くらいの少年は焼き場におんぶひもをたすきにかけて背中に幼子を背負って一人でやってきて、火葬の順番を直立不動の姿勢で待っていた。オダネルは、その少年の表情から「重大な目的を持ってここへ来たという強い意志」を感じ取った。
白いマスクをした男たちが近づき、おんぶひもを解いた時、背負われていた幼子がすでに死んでいることにオダネルは気づきました。
弟の亡き骸が火葬される際、少年は炎を食い入るように見つめていました。火葬の時、少年は唇を固く噛んだまま一言も発せず、一滴の涙も見せず、じっと直立不動で前を見つめたままでした。その時、あまりに強く噛み締めていたため、少年の下唇には血が赤くにじんでいたといいます。その後、少年はきびすを返して何処へ立ち去りました。
オダネルは、「なんときちんとした直立不動の姿勢であろうか。おんぶ紐が肩や首に食い込んで痛いであろうに。一人で焼き場に来たとは、家族はいなくなってしまったに違いない。裸足であるのは着の身着のままだということであろう。その格好で彼は原爆投下後の焦土をさまよったに違いない。背中の弟が死んでいるのに気づいたのはいつだろう。一人でどんなに心細いことだろう。彼はこれからどこへ行き、どうやって生きていくのだろうか、などと様々な思いに胸が痛んだ。
この写真の悲劇をもたらしたのは直接的には米軍の原爆投下であり、その原因は戦争である。戦争、特に核爆弾を用いた戦争は絶対あってはならない。彼が直立不動の姿勢を取り続けたのは、それが唯一、彼が弟の鎮魂のためにしてやれることだったからじゃないか。十歳そこそこの少年が足を揃え、手先をきちんと腿に沿えている。最も敬虔な姿じゃないか。『涙を流していないって?少年の悲しみが涙も出せないくらいに深いことを理解できないのか。その悲しみを唇を噛みしめて必死に我慢しているのを理解できないのか』と思った」と述べています。
オダネルは後に「原爆投下は間違いだった」と語り、自身の被爆(残留放射線)が原因とみられる病に苦しみながらも、平和を訴え続けました。 2017年にはローマ教皇フランシスコが「戦争がもたらすもの」という言葉を添えてこの写真をカードにし、世界中に配布するよう指示したことで再び大きな注目を集めました。
直立不動で立っている少年の凛とした姿に熱いものが込み上げてきます!
