今日は「佃煮の日」



日付は、佃煮の発祥の地である東京・佃島の守り神である住吉神社が創建されたのが1646年6月29日であることから。


佃煮とは、醤油・みりん・砂糖などで甘辛く煮付けた食べ物で、佃煮の名前は、江戸時代に佃島で作り始めたことに由来。


佃島で作られた佃煮は、参勤交代に訪れる大名たちにより江戸名物の土産物として全国に広まっていきました。


江戸の佃島で作り始められた佃煮ですが、ルーツは本能寺の変まで遡ります。


1582年(天正10年6月2日)明智光秀が本能寺に織田信長を襲った時、信長の盟友家康の一行はわずかな手勢で堺にいました。


光秀がほうっておくわけがないと察知した家康は急ぎ三河への脱出行動を開始。三河とは逆の方向、大阪、兵庫の海辺へと急ぎます。


神崎川にさしかかった時、船がなく困っていた一行に素早く手持船や漁船を集めてきたのが摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃町)の漁民でした。この時、佃村の住民は、危険な旅路へ向かう家康に、自分たちが漁や悪天候時に保存食としていた醤油や塩で小魚や貝を煮詰めたものを献上したといいます。


献身的な働きは家康にとって生涯忘れることのできないものとなり、それ以来、家康と佃村の漁民とのつながりが深くなり、家康が幕府を開いたあと佃の漁民は全国どこでも漁ができる許可を与えられました。


江戸鉄砲洲の干潟100間四方(180×180平方メートル)の土地を与えられ大阪佃から17軒34人が移住し、その島を佃島と名づけました。これが現在の東京佃です。


そして漁民たちに伴ってやってきた佃村の神職・平岡氏は、1649年6月29日、この地に、住吉三神、神功皇后、徳川家康を祭祀するために住吉神社を建てます。


本能寺の変がなければ、佃島はなかったし、佃村の漁民たちが徳川家康に佃煮を食べさせていなければ、佃煮がこれほど日本中に広まっていなかったかもしれません!