それを遠くで見守る母親たちが四人。
今日は夜まで用事がないのでお気に入りの公園でのんびりしていた僕。
ほんわかとしていた公園の雰囲気は突如、一人の子供の怒鳴り声によって切り裂かれた。
『これはあかん!掃除のおじさんのや!』
何やら竹ぼうきを振り回して遊んでいた一人の子供を注意したようだ。
注意された子供は…
完全無視!笑
竹ぼうきを振り回して遊んでいる。
『あかんって!』
あっ、殴った。笑
口での注意は一回、その後強行手段で叩いた後に竹ぼうきをひっぱり出した。
一方、竹ぼうきを取り上げられそうになった子は泣きだした。
『いややー!』
と言って、ひっぱられてる竹ぼうきは離そうとしない。
この時、母親たちの様子はと言うと、
『叩くのはあかんからねー。』
と、誰か一人が言った後は笑顔で見守っていた。
その母親たちの優しく見守る雰囲気に、
『おっ、この子たちは幸せだなぁ』
と、僕も温かい気持ちになった。
一方の子供たちは、どんどんエスカレートし、気がつくと竹ぼうきを引っ張る側も引っ張られる側も泣いていた。笑
『あかんー!』
『いややー!』
僕は、日陰でのんびりしながら様子を見ていた。
3分…。
あっ、叩いた。
5分…。
あっまた叩いた。笑
この間、まともな会話はお互いにない。
あかんー!と、いややー!だけである。
それはそうだろう。
まだ小学校にも通ってない子供たちが話し合って平和的な解決をするほうが怖い。笑
こうやってたくさん衝突しながら、人間関係を自分の肌感覚で学んでいくのだ。
一方の母親たちは…
ついに一人の母親が動きだした。
『もーいい加減、やめにせーや。』
子供たち…
ガン無視!笑
『あんたらいい加減にせんと公園の管理してるおじさんに怒られるで!』
子供たち…
ガン無視!
『ほら、公園の管理してるおじさんも見てるで!』
公園の管理してるおじさん、どこだろう?
公園を見渡すと、男性は僕一人。笑
『ほら!見てるで!』
子供たちと一瞬目が合う僕。
子供たち…
こいつなら大丈夫だろうと判断したのか竹ぼうき戦争再開!
いつの間にか公園の管理してるおじさんになった僕、1.2秒で役立たず。笑
母親、見るに見かねて遂に始動。
『ええ加減にしいや!』
と、二人から力技で竹ぼうきを奪い取る。
『叩いたらあかん!』
と、力での解決を否定していた母が力技で一瞬で問題解決させるという世界政府も驚愕の結末。
なんだ!
政治の勉強するためにわざわざ教科書を開かなくても良かったんだ。
公園のベンチに座ってるだけで充分勉強出来たんだ。
だってほら、
『竹ぼうきで遊んだらあかん!』って言ってた子供は、その竹ぼうきで遊んだらいけないという意見と想いを、ただ分かって欲しかっただけなんだ。
竹ぼうきを振り回して遊んでいた子供は、竹ぼうきで遊んでいる自分の気持ちを、ただ分かって欲しかっただけなんだ。
そして、竹ぼうきを取り上げたお母さんは、もう争いを辞めてほしいという想いをただ分かって欲しかっただけなんだ。
ただ分かってほしい僕たちは、ただ分かってほしくて声をあげる。
分かってもらうために、時に犠牲を省みず、時に死に物狂いで声をあげ続ける。
みんながみんな、必死の声で叫ぶから誰の耳にも誰の声も入らない。
そうしてるうちに体力のない人が、一人、また一人と息絶えていく。
そして、力のある残った一人が正義になって、基準になる。
だけどそれでは終わらない。
どこかで新しい声が生まれるから。より強大な声に飲み込まれないように、勝者は恐れながら絶えず声を出し続ける。
時代は巡り、勢力は動き、声をあげ続けることの出来なかった敗者には、恨みや怒り、悲しみや無力感が約束される。
ただ、分かってほしいだけなのに。
ただ、分かってほしいだけなのに、争いは終わらないし、悲しみは増えていく。
ただ、分かってほしいだけなのに、だよ。
さて、ただ分かってあげることが出来る人間はどれくらいいるだろう。
ただ分かろうとしてあげることの出来る人はどれくらいいるだろう。
僕はどうだろう。
反省、反省。
分かってもらうための勇気より、分かってあげるための優しさが賞賛される世界になりますように。
公園は学校だ!笑
アドラー心理学、嫌われる勇気の著者、
岸見一郎先生の講演会します。
僕も出ますよー。