ただ、一時期どうしてもその大好きなはずの著者の本が読めなくなってしまった。
理由は単純だ。
その本に書いていることを実践すればするほど状況が悪化し辛くなる一方だったからだ。
その本には、とにかく『ありがとう』などのポジティブな言葉を常に使うようにしよう。そうすると本当に『ありがとう』と思えるような状況が起こるから、と書いていた。
当時の僕は、ワラにもすがる思いで『ありがとう』を連呼していた。笑
でも状況は一向に改善せず、現実も精神面も悪くなる一方だった。
それもそのはず。自分の中にある本当の感情を押し殺して、とにかく無理して感謝していたのだから。感情が一気に反乱を起こしたのだろう。
『俺は一体なにやってるんだ!?何もありがたくねーよ!!』
と、遂に完全に自暴自棄になり、そういった類の自己啓発本にキョーレツな嫌悪感を抱くことになった。
それからはできるだけ根拠が明確に記載してあり納得感のある本や、理論理屈を説明出来る心理学やコーチングを徹底的して勉強するようになった。
そして昨日、僕は自分の中ですごい気付きを得てしまった。
(これ以降は僕個人の見解ですので、異論反論あると思います。納得感のない方、気にせずに流して下さいね。絶対にあなたのほうが正しいです。笑)
当時の僕は、幸せを引き寄せたくて『ありがとう』と連呼していました。
しかし、『ありがとう』とは幸せを引き寄せるための言葉ではないんです。
『ありがとう』は、言っているその瞬間に幸せを感じるためのものなんです。
つまり、
『あー、幸せになりたいー!ありがとうありがとうありがとう!』
幸せになりたいっていうことは今は幸せではないという前提条件があるから出てくる言葉ですよね。
つまりこれ、ヘタすると心の中で『今は幸せじゃない、今は幸せじゃない』って連呼してるのと同じです。
そしたら、幸せじゃない現実が目についてしまうのも当然と言えば当然…。
『あー、自分はなんて幸せなんだろう。ありがとう!』
これは、すでにありがとうと言っている時点で幸せの渦中にいる。
些細なことに感謝出来るようになると、常に自分以外の力で生かされている事実に気付き、さらに感謝が深まる。
毎日ご飯たべれるのは当たり前?
友達がいるのが当たり前?
ケータイ持てるのが当たり前?
仕事があるのが当たり前?
目が見えるのが当たり前?
明日も生きていれるのが当たり前?
指が動くのが当たり前?
耳が聞こえるのは当たり前?
時間通りに電車がくるのは当たり前?
はてさて、僕らは一体何と比べて幸せか不幸せかを判断してるのでしょうか。
ないものねだりをするよりも、あるものに感謝しながら生きていきたいと思える今日この頃です。
ちなみに僕は今、毎日ありがとう連呼しまくってます。あの時、一度手放した本や教えも今は何の抵抗もなく、むしろ大きな感動と感謝を感じながら読めています。
ありがとうと言えば幸福が来るのではなく、ありがとうと言っているその瞬間こそが幸せの真っ只中なんです。
ありがとう!
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岸見一郎講演会、たくさんのお申し込みありがとうございます。
今回は400人規模のイベントです。僕の力でだけでは呼べて5人です!笑
もしよければみんなで来てねー。